1998年の思い出話

「ばあや……」

「あらあら、坊ちゃん、どうなすったんですか?」

「ボク、眠れないんだ」

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「ではホットミルクでもお作りしましょうかね」

「ミルクはいらないよ。ばあや、何かお話してよ」

「わかりました。じゃあ田代富雄の引退試合のお話にしましょうか。あれは1991年、ハマスタでの阪神戦。満塁で打席がまわってきた田代が葛西のカーブをね、振りぬいて……。ばあやは今もってあんな滞空時間の長いホームランを見たことがありませんよ。本当に心から田代辞めないでって……」

「ばあや、違うんだ」

「そうだ、坊ちゃんの好きな救急車がグラウンドまで入って来た、あの1977年阪神佐野の川崎球場フェンス直撃事件にしましょう」

「ばあや、ボクが聞きたいのは、1998年の話なんだよ」

「坊ちゃん……」

「どうしてばあやは話してくれないんだ。1998年のことを」

「……」

「どうしてなの? だって1998年はベイスターズが優勝した年なんでしょ。日本一になった年なんでしょ」

「……坊ちゃんはおいくつになられましたか」

「もう5才だ。逆上がりだってできるよ。この間転んで骨折しちゃったけど、これくらいへっちゃらだ」

「そうですね。坊ちゃんは賢いお子です。これからお話するのは、ばあやがずっと忘れよう、忘れようとしていたことです」

1998年にチームを日本一へと導いた権藤博監督 ©文藝春秋

「ばあやが一番幸せだったのは1997年かもしれません」

「どうしてあの栄光の1998年のことを忘れたいのさ?」

「1993年、大洋漁業がマルハに変わり、クジラが星の化け物に変わり、三鷹淳とチャッピーズがCoCoに変わりました。気づいたら高木豊も屋鋪要もこけしバットもいなくなり、FAで巨人から駒田がきました。横浜大洋ホエールズが横浜ベイスターズになったのです」

「知ってる。瀬能あづさが脱退した後のCoCoだ」

「なんかよく分からないけど新しいオシャレっぽいチームになっていく……根拠のないワクワク感があったんですよ。しかしそう簡単に世代交代が果たされるはずもなく、チームはBクラスをウロウロしていました。でも……予感はありました。漠然とですが『ハマスタに行って負ける確率』がそれまで7、8割だとすると、なんとなく半々くらいにはなっていた。石井、進藤、斎藤隆……ハマのコギャルたちによる若い選手への黄色い声援も日に日に大きくなっていました」

「ルーズソックスだね」

「ばあやが一番幸せだったのは1997年かもしれません。後の優勝監督になる権藤博がバッテリーコーチに就任して、結果2位。ベイスターズを応援してから2位はおろかAクラスに入ることもまぁほとんどなかったですからね」

「じゃあ1998年の優勝は必然じゃないか」

「1998年の日本シリーズ、ばあやは学校の公衆電話を占拠して電話かけまくり、ようやくチケットを取りました。当時『公衆電話でチケ電かけると早くつながる』という謎の都市伝説があったから」

「公衆……電話?」

「ハマスタで行われた第6戦、先発は西口と川村。胃がキリキリするような投手戦で、8回にミスがらみでようやく点を取り、迎えた9回。もちろん佐々木が出てきました。だけどいつものようにすんなりとはいかせてもらえなかった。レフト鈴木尚典の運命的な後逸、名手進藤のフィルダースチョイス……1点差に詰め寄られました。でも佐々木はやっぱり大魔神だった。代打金村をゲッツーに打ち取って……このときのローズのセカンドへの送球、ばあやは一生忘れません」

「すごいやローズ、すごいやベイスターズ」

マシンガン打線の四番を担っていたロバート・ローズ ©文藝春秋

「思えば……当時の優勝メンバーは個々の能力が非常に高い、孤立した個人だったんです。おそろしいほど同時に才能が萌芽し、おそろしいスピードで開花してしまった。打てば止まらないマシンガン打線、守れば内野全員GG、9回に大魔神が出てくれば相手チームのファンは帰ってしまう」

「スタンドアローンコンプレックス」