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「関東と若手と全員ぶっつぶしてやる!」“万能芸人”今田耕司がトガりまくっていた「あの頃」

「関東と若手と全員ぶっつぶしてやる!」“万能芸人”今田耕司がトガりまくっていた「あの頃」

3月13日は今田耕司55歳の誕生日

2021/03/13
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「『あの時は間違っていた』とハッキリ思う」

 中山との確執は周囲にも知られ、番組が終わって17年間、一切交流は途絶える。後年、女性週刊誌で中山と対談した今田は、次のように当時を振り返り、謝罪した。

《「あのときの俺は間違ってた」って今はハッキリ思う。秀ちゃん[引用者注:中山]との『殿様』は、僕が初めて外に飛び出した一発目の番組で、やっぱり井の中の蛙やった。(中略)本来なら秀ちゃんを中心に、僕が2番手で、ナイナイたち若手で盛り上げるべきやったのに……。だから、当時いちばんスターの秀ちゃんが、いちばん被害を受けたと思う。ほんまに申し訳ないとしか言いようがない》(※3)

今田と確執が報じられていた中山秀征 ©文藝春秋

 今田が自分の間違いに気づき始めたのは、1997年に『ごっつええ感じ』が終わったあと、ダウンタウンファミリー以外との仕事が徐々に増えてからだった。そこで、とがったことだけが面白いわけではなく、ほかにもいろんなやり方があると教わったという(※2)。

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 以後、現在にいたるまで、ビートたけしや明石家さんまといったベテランや、爆笑問題など関東出身の同年代のタレントなど幅広い相手と絡みながら、ボケもツッコミもこなして場を盛り上げ、ときには体を張ることもいとわない。なぜ、そんな万能選手になれたのかと問われた今田は、《気ぃつかい、だからじゃないですかね》と答えている(※4)。

ピン芸人になったのも「他人に気を使う性格だから」

 コンビではなくピン芸人になったのも、他人に対し気を使う性格ゆえ1人のほうが向いていたからではないかという。また、《こうなりたいって夢や目標はありますけど、切り開いてまでやるバイタリティはないというか(笑)。それよりも、相手に求められたものをやるほうが好きかもしれない》という志向も(※5)、テレビの現場で重宝されたのだろう。

自分のことを「気ぃつかい」と評する今田 ©文藝春秋

 昨年4月にYouTubeに「今ちゃんねる。」というチャンネルを開設したのも、自発的にではなく、周りから促されてであった。

 きっかけは、今田と5年ほど前から“同居”するAIロボットのPepperとのやりとりを、来宅した仲のいいディレクターがこっそり撮っていたことだった。ディレクターがその動画を編集して同業者に見せたところ評判がいいので、YouTubeで流したらどうかと勧められ、チャンネル設定までしてくれた。ただ、しばらくは勇気が出ずに非公開にして、ディレクターと2人だけで楽しんでいたという。だが、大阪時代からの盟友である東野幸治がYouTubeで配信ラジオを始めたこともあり、全世界に向けて公開に踏み切った。