日本では、憲法によって特定の宗教を信じる自由または一般に宗教を信じない自由が保障されている。信仰する宗教が“カルト”と呼ばれるものだったとしてもだ。しかし、カルトの教えが絶対であると信じる両親のもとで育てられた子どもたちは、信じる対象を限定されることが往々にしてある。そんな子どもたちはいったいどのような日々を過ごし、どのような大人へと育つのだろうか。

 ここではジャーナリストの米本和広氏の著書『カルトの子』(論創社)より、「世界平和統一家庭連合(統一教会)」信者の両親のもとで育った女性の体験談を引用。生まれ育った環境に葛藤を抱き、悩み苦しむ二世の声を紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

※記事中に登場する人物の名前はすべて仮名です。

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うちの家が一番まともと思えるほど、ひどい家庭ばかりだった

 ユキは統一教会に内心懐疑的だった。教典である『原理講論』には納得がいかなかったし、何より母親の信者仲間で幸せになった人が1人もいないことが大きかった。母の信者仲間の夫は事業に失敗して自殺したし、やはり母の信者仲間は夫が背中が痛いと訴えていたにもかかわらず、日中の大半は献金活動に明け暮れ、がんに気がついたときはすでに手遅れだった。母が布教した伯母は500万円の多宝塔や300万円の壺を買ってから「壺の後ろに霊界が見える」と口走るようになった。それが原因で夫婦関係が悪化した。ユキと同年輩の二世は交通事故にあい、1人が亡くなり、もう2人は後遺症に苦しんでいた。

「桃子(編集部注:ユキの妹。三女で両親ともに統一教会信者になった後に産まれた)の問題はあるけど、周囲を見渡してもうちの家が一番まともと思えるほど、ひどい家庭ばかりだった」という。

 神野三千子は献金に明け暮れたが、子どもの教育には熱心で、ユキを大学に進学させている。「統一教会のために家を抵当に入れていましたが、長女が大学に進学するというんで、教団と交渉して銀行に借金を全額返済してもらい、抵当権を解除してもらいました」と神野はいう。

 ユキは組織には距離を置いていたが、大学2年生のときに統一教会が自分の問題としてのしかかるようになった。好きな人ができたのである。ユキは葛藤した。その人と付き合えば母は嘆き悲しむし、私は地獄に落ちるかもしれない。母の気持ちを優先させれば別れるしかない。

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「葛藤する自分に驚きました。葛藤するほど組織に縛られていたのかと思った。教義には疑問を抱いても心情的に理解していたんでしょうね。好きな人ができたと告げれば母は気が狂うかもしれないと内緒で付き合っていましたが、好きな人と一緒にいても心から楽しむことができず、むしろ辛くて、苦しい日々でした」

信者の母から「好きな人がいたら結婚していいよ」

 彼と別れたあと、ユキは一生独身で通すことにした。合同結婚式の実態を知っていたからだ。日本人女性と黒人の組み合わせは少なくないし、日本の女性と結婚することが目的で海外の男性が入信しているケースもある。韓国人と結婚した女性は儒教の国ゆえ家事にこき使われている。

 信者が口先では文鮮明(編集部注:世界統一平和連合[統一教会]の創設者)のマッチングを賞賛しながら、本音では自分の息子や娘の相手には同じ日本人を希望していることも知っていた。母の信者仲間が「あなたのとこは、(献金額が多いから)ちゃんとした日本人よ!」としゃべっているのを聞いていたこともあった。