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ファンタジーがいつしか“真実”になる

――図柄や描法などの細かい指定はあったのでしょうか?

天野 それがほとんどなくて、逆に驚いてしまいました。「自由に描いてください」と言ってくださったので。お釈迦様や四天王の姿についても、とくに「こうしてください」というのはありませんでした。ただ、確かに考えてみれば、誰も実際にお釈迦様の姿を見たことはないですから、正解というものはないんです。ならば伝統的な描かれ方はある程度踏まえつつ、あとは好きにやっちゃったほうがいいだろうと開き直りましたね。

 そこからは、それぞれの仏様を、自分なりにキャラクター化していくことにしたんです。もちろん、調べたことは生かしながら、です。たとえば帝釈天には帝釈天の役割があって、手にはこれを持っている、などといった決まり事はある。それには則するんですけど、他の部分は解釈の余地がいくらでもあるので、そこは好きにやっちゃったほうがいいなと。

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©平松市聖/文藝春秋

 そもそも、文化、風習、人の好みといったものは、時代とともに移り変わるでしょう。でも、過去も現在も変わらないものはあって、それは人の想像力だと思うんです。古い仏像などの表現は、造られた時点での人の想像力が発揮されてできたものです。だから、同じ題材で造形をするなら、過去の表現をなぞるのではなくて、現代人の想像力をそこにぶつけるほうがいいだろうと思いました。それぞれの時代で思うがままに幻想、ファンタジーをつくり上げればいいんじゃないか。いつしかそれが“真実”になっていくんじゃないか、と。

「ファイナルファンタジー」での経験が活きた

――絵のサイズや画材にも、制限は?

天野 とくにありませんでした。自分としてはできるだけ大きく描きたかったんですけど、紙のサイズがなくて、現状は2枚をつなげて画面をつくっているんです。1枚ずつでもかなり大きい紙で、作業机にのらないので床に置いて描いていきました。

 画材はアクリル絵具と、日本の顔料ですね。自分にとって慣れたものを使いたかったので。背景には金箔が張ってあります。昔の絵は金箔を張ったうえから絵を描いていたんです。でも、今回は絵を描いた後に、その隙間に金箔を張っていったので、けっこう時間のかかる作業でした。

 

 実は、「ファイナルファンタジー」の仕事でワールドマップを描いたときに、金箔を張って世界観を表したことがあったんです。そのときは、京都の町並みを俯瞰で描く《洛中洛外図》を参照しました。そのときの経験をうまく活かすことができたと思います。

――今作の制作期間はちょうどコロナ禍と被ります。今のタイミングでこの絵が完成したのには、少々因縁めいたものも感じます。「人々の苦難を救うための絵」の誕生といいますか……。