高市早苗、佐藤ゆかりとも不仲…野田の周りに「融和」はない
稲田は、2005年、当時の首相・小泉純一郎による「郵政選挙」で初当選した。保守思想で共鳴する安倍晋三の後ろ盾を得て、2012年に内閣府特命相で初入閣したのを皮切りに、党政調会長、防衛相など重要ポストを歴任し、いまや野田と対をなす自民党女性議員の筆頭格だ。
とはいっても、野田は前首相・安倍晋三と同期、1993年の初当選。稲田と比べれば10年以上のキャリアの差がある。本来なら野田は、稲田の行動など軽くいなせばいいのだが、自らの立場を脅かすという危機感なのか、会議室の使用という大学のサークルレベルの些細な問題で関係をこじらせた状態が続く。
稲田との関係以外にも、野田は夫婦別姓をめぐる考え方の違いから、古くは高市早苗との対立も囁かれた。野田が郵政民営化に反対し、離党せざるをえなかった郵政選挙で、小泉が野田の選挙区である岐阜1区に自民党公認候補、いわゆる刺客として放った佐藤ゆかりとの不仲は語るまでもない。
それだけではない。女性議員との関係以外でも、地元「岐阜県連のドン」と言われる猫田孝県議との不仲は永田町では有名で、野田の周りで「融和」や「融合」といったキーワードを聞くことがない。
森喜朗の女性差別発言には抗議ナシ「不思議な寛容さ」
もちろん、野田の側だけに問題があるのではない。会議室の利用問題一つで積年の恨みのごとく語る稲田にも、本来の保守政治家が持つべき「寛容さ」が欠如している。高市との不仲も、高市が歩み寄ったという話も寡聞にして知らない。不仲という問題は、当事者双方に原因があるのであり、双方に「寛容さ」が欠けているからこそ起こる問題なのだ。
その一方で不思議に思うのは、女性議員の間の問題では互いを批判する鋭さを持ちながら、一転、男性の大物議員の問題にはあまりにも「寛容さ」が過ぎるのではないかということだ。
東京五輪・パラリンピック大会組織委員会会長(当時)の森喜朗が、女性差別発言をした際、自民党の女性議員から抗議の声はあがらなかった。むしろ、党内では、男性議員の後藤田正純政調会長代理や、元新潟県知事の泉田裕彦議員が批判の声をあげたくらいだ。
なぜ女性の立場から、この問題を鋭く指摘する声がないのか。当時不思議に思ったのは、筆者だけではないだろう。
このほかにも、緊急事態宣言中に深夜銀座のクラブをはしごした松本純議員らの問題にも、女性議員から批判の声があがったとは聞かない。