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老境を迎えたリドリー・スコット監督の“悲痛な叫び”

 両作品から伝わってくるのは、強烈な死の香りと、創造主に対する愛憎半ばする狂おしい思いだ。なぜ創造主が人類を作ったのかは分からない。だが、彼らが人間を憎んでいることだけは疑いない。なぜなら、彼らは私たちに逃れられない「死」を与えたからだ。ならば、彼らに復讐することも許されるのではないか――。老境を迎えた監督のそんな悲痛な叫びが聞こえてくるようだ。

 そして、「コヴェナント」で本当に恐ろしいのは、エイリアンよりも、穏やかな表情で悪魔のような所業に熱中する人工知能デヴィッドだ。無慈悲に見えるデヴィッドだが、人間を超えた知性の持ち主である以上、人間には理解できないモラルや欲望を持っていても不思議ではない。デヴィッドは私たちが実験動物を見るような目で人間を見ているに過ぎないのだ。

 スコット監督は、創造主のように生命をもてあそぶ不死の存在デヴィッドに感情移入することで、自らの死の恐怖を乗り越えようとしているのかもしれない、とさえ思える。

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©2017 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved

 一方で、「プロメテウス」と「コヴェナント」は、「愛と信仰」を正面から扱った物語でもある。前者のタイトルは人類に火をもたらした神の名であり、後者は、神と人間との聖なる約束を意味する言葉だ。

「プロメテウス」の主人公ショウは、エボラ出血熱で亡くなった父親の形見の十字架を、肌身離さず身につけている。一時は自らの手から離れた十字架を、「プロメテウス」の最後で、彼女は取り戻して再び身につける。人類の創造主であるエンジニアに裏切られた後でも、「父親への愛」と「父なる神への信頼」は不変であり、それが彼女の「生きる力」の源であることが暗示される。

「コヴェナント」の主人公ダニエルズも、宇宙船の事故で亡くなった夫との「目的地の植民星に着いたら、本物の木で出来た小屋を作ろう」という約束の証しとして、古びた釘を首に下げている。それは、キリストを十字架に打ちつけたとされる「聖釘」のようにも見える。その釘は後に、ダニエルズの窮地を救うことになる。

 こうした描写を見る限り、スコット監督は「愛の力」「信仰の力」を信じているかに思えるが、ことはそう単純ではない。