「コヴェナント」の乗組員たちは全員がカップルだが、彼らの「パートナーや仲間を思いやる気持ち」が事態をどんどん悪化させていく。病原体に汚染された仲間を救おうとしたことが、惑星から脱出するための離着陸船を失うことにつながり、取り残された仲間を救おうとする母船のクルーたちの決死の行動が、結果的に人類の未来を左右する最悪の事態を引き起こす。主人公のダニエルズさえ、自らを救ってくれたもう一体のアンドロイド・ウォルターに感情移入しすぎたことで、致命的なミスを犯してしまう。
一方で、デヴィッドから「完全なる生命体」と讃えられるエイリアンには、愛情や共感はなく、純粋な生存と殺戮への欲求があるだけだ。
スコット監督はまるで、「人間がもつ他者への過剰な信頼や共感は、この過酷な宇宙で生きていく上ではマイナスにしかならない」とでも言いたいかのようだ。「愛や信仰のもたらす力を信じたいが信じ切れない」という監督の苦悩が伝わってくる。
リドスコじいさんの「妄想と執念」はどこに向かうのか
「コヴェナント」は、スコット監督のもう一つの代表作である1982年公開の「ブレードランナー」とも深く結びついている。同作は、人間が自らの奴隷として創造したアンドロイド=レプリカントが人間に反逆する物語であり、その主題は「プロメテウス」「コヴェナント」とほぼ完全に重なる。
「コヴェナント」の冒頭は、目覚めたばかりのアンドロイド・デヴィッドの瞳のクローズアップで始まるが、「ブレードランナー」もまったく同じ「瞳のアップシーン」から始まる。
「コヴェナント」の作中では、地球に住む人類が滅亡の危機に瀕していることが暗示されるが、今月公開される「ブレードランナー2049」でも同様の危機が描かれるという。
スコット監督は、自らが創造した二つの作品世界を双生児のように扱うことにより、「人間はどこから来て、どこへ行こうとしているのか」という根源的な問いを、さらに深く突き詰めようとしているのではないか。
本来はまるで設定が異なる作品同士を強引に結びつけ、自らの「原問題」を追い求める場にしてしまう。御年79歳にしてこの暴走ぶり、もうたまりません! リドスコじいさんの「妄想と執念」が最終的にどこに向かっていくのか、ゾクゾクするような思いで見守るばかりだ。
そして、監督がさらにすごいのは、こんなに哲学的で重いテーマを扱いつつも、エンターテインメントとしての観客へのサービスも、相変わらずノリノリでやっていること。
「コヴェナント」の製作を始めるにあたり、スコット監督はスタッフに対し「クラレット(フランス産赤ワインで、映画で使用される血糊を意味する言葉)が大量に必要になる」「観客みんなをびびらせまくるぞ」と宣言したという。できあがった作品を見る限り、その言葉は決して裏切られていない。
「プロメテウス」と「コヴェナント」の間をつなぐ、さらなる続編の構想もあるという。監督にはぜひとも長生きして、「自らの業の物語」を紡ぎ続けて欲しい。
「エイリアン:コヴェナント」
大ヒット公開中!
配給:20世紀フォックス映画