今年1月19日、「プーチンのための宮殿」と題する動画が世界中で話題になった。この動画はロシアの反体制派指導者であるアレクセイ・ナワリヌイ氏の関連団体によって、YouTubeに投稿され、プーチン大統領の別荘とされる「宮殿」の全貌をくまなく伝えるものだった。

 ナワリヌイ氏は、政府から利権を与えられた財閥が豪華絢爛な別荘の建設費(推定19億米ドル)を提供したと指摘。さらに、劇場、教会、カジノ、プーチンの柔道のトレーニングルームといった、別荘内部の様子についても詳報した。

プーチン大統領

2036年まで続投可能になったが……

 これがロシア国民の怒りに火をつけ、ロシア全土で反プーチンデモが巻き起こることとなる。

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 だが、勢いは長くは続かなかった。政府は治安部隊を投入して全国で1万人以上を拘束し、ナワリヌイ陣営は反政府デモを春まで中断すると発表。暴露動画は結局、プーチン政権をそれほど追い詰める威力を持たなかったのだ。

 プーチンがロシア連邦の大統領に就任したのは2000年。すでに20年以上の長期政権を誇るが、昨年7月の憲法改正によって2036年までの続投が可能となった。

 強権的でありながら、絶対的なリーダーとして君臨し続けるのはなぜなのか――。

告発された「プーチン宮殿」

「文藝春秋」4月号では、京都産業大学客員教授の東郷和彦氏と東京大学先端科学技術研究センター特任助教の小泉悠氏が対談、プーチンの“強さ”の秘密を読み解いた。

 2人がまず指摘したのは、ソ連崩壊後に混乱に陥っていたロシアを立て直したというプーチンの功績だった。

「国際エネルギー価格の高騰」という幸運

東郷 プーチンに対する私の初期のイメージはボナパルト。フランス革命期の混とんとした時代に、コルシカ島から出てきた若き青年将校が混乱を収め、それと同時にフランスを強くしていく――若きナポレオンのイメージにプーチンはぴったり重なりました。

 印象深いのは、第二次チェチェン紛争です。ちょうどその頃、モスクワやダゲスタンなどの国内3都市で爆弾テロが発生していたのですが、プーチンは首相に就任するやいなや、犯行グループをチェチェン独立派武装勢力と断定して軍の指揮を執り鎮圧した。それまでは大統領が安全保障、首相が経済対策という役割分担だったのに、若き首相が安全保障でも前に出てきた。その手際が見事だったので、国民の大きな支持を集めました。彼はボナパルト的に「ロシア国家の強化」に向かって、内外の政策を着実に実施していきました。