いまから50年前のきょう、1967年10月9日、アルゼンチン生まれのキューバの革命家チェ・ゲバラ(当時39歳)が、南米ボリビア山中のイゲラ村で、同国の政府軍により射殺された。

キューバの革命家、チェ・ゲバラ ©getty

 ゲバラは1965年にキューバから姿を消すと、一時、アフリカのコンゴで活動したのち、南米での革命を企図して66年にボリビアに潜入する。67年3月からは民族解放軍(ELN)を率いて本格的にゲリラ戦を展開していた。南米の共産化を恐れていた米国は、ボリビアを軍事的に支援し、ゲリラの一掃のため全力を傾ける。しだいに追い詰められていったゲバラは、8月31日に後衛隊が罠にかけられて全滅、10月8日にはついに捕えられた。このとき現場に赴いていた米中央情報局(CIA)の工作員フェリックス・ロドリゲスによれば、米国はゲバラを生かしたまま裁判にかけようとしていたが、当時のボリビア大統領バリエントスの命令で、即時処刑が決まったという(平山亜理『ゲバラの実像 証言から迫る「最期のとき」と生き様』朝日新聞出版)。

 処刑される際、ゲバラは、射殺役を買って出た若い軍曹に対し、「しっかり狙って撃て。おまえはひとりの男を殺すのだ」と言い放ったという逸話もある。だが、その軍曹からあとで話を聞いたあるボリビア軍将校は、ゲバラから最期の言葉や演説はなかったと証言している(『ゲバラの実像』)。

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 ゲバラの遺体は、その日のうちに軍の拠点のあるバジェグランデの病院に運ばれた。このとき、院内で目を見開いたまま寝かされたゲバラの写真が撮られている。遺体は翌10日、指紋照合のため両手を切断されると、11日未明、市内の滑走路下の地中に秘密裡に埋められた。ゲバラの遺体がキューバとアルゼンチン両政府のチームにより発掘され、遺骨がキューバに渡ったのは、死後30年を経た1997年のことである。彼の終焉の地となったイゲラ村はいまや聖地化し、若者や左翼らの“巡礼”や観光客の訪問が絶えないという(伊高浩昭『チェ・ゲバラ 旅、キューバ革命、ボリビア』中公新書)。

キューバ・サンタクララにあるチェ・ゲバラ霊廟 ©iStock.com