ハーバード大学出身。フランク・ハーマン投手の経歴で出身大学はひときわ目に留まる。誰もが知るアメリカの名門大学。歴代のアメリカ大統領を輩出しノーベル賞受賞者、ピュリッツアー賞受賞者も多数出している。ハーマンは経済学部出身だ。
「大学に入った時は金融に興味があったから、銀行マンとか証券会社とかに入りたいと思っていたかな。プロ野球選手というのは正直、選択肢にはなかった」
ハーマンは当時をそのように振り返る。SATと呼ばれるアメリカの共通テストに合格して難関ハーバード大学入学。高校時代は野球、バスケットボール(3年間で1000得点を記録し、これは同校では過去3人しかいないことはハーマンの誇りでもある)、アメリカンフットボール(クオーターバック)とスポーツ万能ぶりは見せていたもののプロのアスリートを夢見るようなことはなく、大学時代に続けた野球も「野球が一番、卒業してもずっと楽しめるスポーツかなと思った。学問とスポーツの両立をして人生を楽しみたいと思って続けていた」と話す。
唐突なオファーに家族からは猛反対も……
人生の転機は大学3年生の夏。ハワイで行われた大学野球チームによるサマーリーグに参加をした。当時のハーマンは「野球でハワイに行けるなんて最高だなと思った。ハワイで観光してエンジョイをしようと思っていた」と語る程度の気楽な旅行気分。しかし、そこで人生は大きく変わることとなる。視察に来ていたクリーブランド・インディアンズのスカウトの目に留まったのだ。「いいボールを投げるな。来ないか」。唐突なオファーではあったが、ジョークではなかった。すでに6月に1球団50名、30球団で1500人が指名されるドラフトは終了しており入団をするのであればドラフト外という形となる。当然、条件はドラフトされた選手たちよりも低い。それでも当時のハーマンは果てしない夢を感じた。
「ボクは野球の力でハワイに来ることが出来た。野球の力でまた新しいチャンスが生まれたと思った」
自宅に戻り、家族に相談をすると、猛反対をされた。「冗談だろ。考え直せ」。それはそうであろう。私立の名門 ハーバード大学である。学費は決して安くない。ドラフト上位ならまだしも、ドラフト外からの低条件での入団。しかもまだ大学3年生で卒業をしていない。それでもハーマンは「これはボクにとってチャンスだ」と両親を説得し続け、大学を卒業することを条件に最後は納得をしてもらった。球団側も大学を卒業するためのバックアップを約束し、プランを立て親に丁寧に提案をしてくれたことも功を奏した。
スプリングキャンプからマイナーリーグが終わる9月までプレーをしてオフは大学に戻り、猛勉強を繰り返した。そして無事に学位をとりプロ入りから約1年後の06年12月に卒業。その後は1Aから3Aへと一つ一つ階段を登り10年にメジャーデビューを果たした。ハーバード大学出身のメジャーリーガーは史上16人目のことであった。ちなみにこの年のオフには大学時代に知り合ったボストン大学に通っていた女性と結婚。式はハーバード大学にあるチャペルで挙げている。