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「プロで活躍すれば、天国の母と祖父にも見てもらえる」

 中学では大阪・港ボーイズに入団した。

「プロ野球選手になろうなんて全然。ポジションはショートとライト、たまにピッチャー。とにかくガリガリで、写真を見返すと、やばいくらい細いです」と笑う。

 強豪校からの勧誘はなく、高校は同じボーイズで憧れの先輩が進学した精華高校へ。松木平は内野手として活躍し、2年夏には背番号5をもらった。甲子園を目指す大阪府大会初戦の2日前、それは突然だった。

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「夜、姉がアルバイトから帰ってきて、寝ていた僕を起こしたんです。『じいじのチャリがない。おかしい。探しに行こう』と。祖父は家の近所をサイクリングするのが日課でした。でも、その日は夜になっても帰って来なかったんです。警察に捜索願も出しましたが、見つかりませんでした」

 翌朝、通学路の様子が異様だった。

「川の周りにレスキュー隊がいたんです。まさかと思いながら、高校へ行きました。すると、『祖父が転落死した』と連絡があったんです。あまりにもショックで、早退しました。祖母が泣いたのを初めて見ました。胸が痛かったです」

 松木平は悲しみに耐え、一心不乱に白球を追いかけた。新チームになると、エースナンバーを背負った。

「コロナで自粛中に体を大きくしようと決心したんです。祖母に無理を言って、ご飯もおかずの量も増やしてもらいました。それで体重もアップして、ガリガリではなくなりました。球速も上がりました」

 3年夏、「過去で一番良かった」と振り返る履正社高校との練習試合は圧巻だった。この好投がスカウトの目に留まり、中日とオリックスから調査書が届いた。遠かったプロの世界が一気に近付いた。

「これまで僕の試合を家族は1度も見たことがありません。母と祖父は亡くなり、姉は看護師を目指して勉強とアルバイトで目一杯。祖母も高3の夏に体調を崩したので、観戦は控えていました。でも、プロで活躍すれば、祖母や姉、天国の母と祖父にも見てもらえる。そして、世界のどこかにいる父にも伝わるはずです」

 入団会見の言葉の意味が分かった。

「この世に苦しい思いをしている人はたくさんいると思います。今は両親がいなくても、過去にいたから、僕がいる。だから、両親に感謝の気持ちを持って、生き続けて、今していることを一生懸命すれば、きっと幸せは訪れると思います」

 松木平のプロ野球人生は始まったばかりだ。キャンプでブルペンに6回入ったが、球数は50球まで。帰名後に打撃投手を3回こなし、今月中旬に初めてシート打撃に登板。実戦デビューは5月下旬の予定だ。「今は全選手の中で最下位。ここから徐々に実力をつけていきたいです」と前を向く。

 祖父に言いたいことを聞いた。

「今、一緒にテレビで見ていた世界にいます。早く試合で投げられるように頑張ります」

 母に言いたいことを聞いた。

「あれからたくさんの人に支えてもらって、プロ野球選手になれました。投げる日までゆっくりしておいて。僕を産んでくれてありがとう」

 松木平という名前が世界に轟く日を待っている。

©若狭敬一

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