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あのとき米野智人が、ファルケンボーグから“奇跡の逆転満塁弾”を打てた3つの理由

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/04/27
note

栗山のバットと、名アナの魂

 当時から9年が経った今、改めてホームランを打つことができた理由を考えてみたい。

[理由1]

 実はこの打席で僕が手にしていたバットは、チームメイトの栗山巧選手に数日前にお願いして譲っていただいたバットだった。おそらく、ファンの皆さんは知らない情報でしょう!

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 僕はこの年からポジションがキャッチャーから外野に変わり、背水の陣で臨んだシーズンだったので、早く結果がほしいと思っていた。

 開幕から自分が使っていたバットが感覚的にしっくりきていなかったので、こういう時は思い切って違うバットを使ってみようと思った。「いいバッターのバットなら打てそう!」というシンプルな考えだった。栗山巧選手、本当にありがとう(笑)。

[理由2]

 この日のヤフードームは「ルーフオープンデー」という天井を開放する日で、試合開始から終了まで屋外での試合予定だった。ところが風が強まり、試合の進行と観客への影響が考慮され、5回終了後に天井が閉められた。

 屋根を開けたまま試合を続けていたら、おそらく逆風となり、僕のホームランは生まれていなかったかもしれない。

 運がいい。普段の行いが良かったからだろう(笑)。

[理由3]

 この日、ラジオで実況を担当していた文化放送のアナウンサー、斉藤一美さんの魂が僕に乗り移った!

 あの実況がなかったら、僕のホームランもここまで皆さんの記憶には残ってないだろう。斉藤一美さんには足を向けて寝られない(笑)。

 聞いたことがない方は、インターネットで「米野 ホームラン 絶叫」などと検索すると音声が出てくると思うので、是非探してみてください。

 栗山巧選手、斉藤一美さん、ヤフードームの天井を閉めると決断したソフトバンクホークスの関係者の方。本当に感謝しています。心より御礼申し上げます!

ⒸSEIBU Lions

人生を変えたホームラン

 という感じでちょうど9年前のあの日のことを振り返ってみたが、いろんな要素がいい方向に関係して生まれたホームランなんだと改めて思った。決して自分の実力だけでは打つことはできなかった。

 最近思うことは、本当にあのホームランを打って良かった!!!

 僕は2010年から2015年までライオンズでプレイさせてもらったが、冗談抜きで、2012年の逆転満塁ホームランがなかったら2015年までライオンズにいることはなかったと思っている。取材などでもそう答えているが、偽りない本心だ。

 それくらい自分にとっても、ファンの方々にとっても、インパクトのある出来事だったんだなと思う。当時の僕の中でも、“このホームランでやっとライオンズの一員になれた”と安心することができた一打だった。

 そして、当時から9年が経ち、今シーズンからメットライフドームのライトスタンド後方にお店を出すなんて、誰も想像することはできなかったはず!

 決意のコンバートでポジションが変わり、自分が守ったこともあるライトのポジションがよく見える場所に僕のお店『BACKYARD BUTCHERS』はある。今、自分のお店からプロ野球のグラウンドを眺めると、“本当に自分はここでプレイしていたのか?”とさえ思う。

ⒸSEIBU Lions

 当時はわかっていなかったが、メットライフドームは特別な場所で、プロ野球選手は非日常の仕事だった。そして、改めて思う。本当に選手たちはカッコいい!

 お陰様で、お店にはたくさんの方に来ていただいている。お話しすると、やはり話題になるのはあの日のホームランのことで、たくさんの方が覚えてくれている。

 いやー、本当に打ってよかったー!

 いろんな意味で奇跡のグランドスラムだった。

◆ ◆ ◆

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