小説『食卓のない家』が示した「闘うべきは世間」
「世間学」といえば阿部謹也や佐藤直樹が有名だが、一つ、この問題に切り込んだ重要な文学作品として、円地文子の『食卓のない家』を紹介しておきたい。この小説は連合赤軍事件をモチーフにしているが、扱っている主題はまさに「世間」であり、本書の第6章で取り上げる「責任」である。
酸鼻な同志へのリンチ殺人に加担した犯人の父親は、周囲から責められても謝罪せず、勤務先から退職の圧力をかけられても辞めない。成人した子の責任を親が取る必要はない、決して取ってはならないという考えを貫き、能面のような表情で世に対し続ける。当然ながらこの父に家族はついていけず、妻は精神錯乱し、娘の縁談は壊れ…….と家庭はガラガラと崩壊していく。それでもこの父親は態度を変えない。
実際にはモデルとなった坂東國男の父親は自殺しているので、これは、決して日本では起こり得ない事態を描いた、円地による思考実験と言える。柄谷行人も『倫理21』『必読書150』で紹介しているこの作品の特異性は、連合赤軍事件を扱ったほかの数々の作品と違い、この父親のたった一人での闘争こそが、新左翼の息子の日本国家との闘争よりもずっと革命的で重要だということを語っている点にある。封建遺制と闘う、という言い回しは、ともすれば前近代的な家父長制を壊すことだと意識されてきたが、日本では、明治的な強い父性が消えても、家族や個人を強いている「ある力」は依然消えていない。闘う相手を間違ってはならない、自分たちを縛っているものが何なのかよく見据えろ、ということをこの小説は示している。(#3に続く)
注釈
☆1 一方で、日本で大災害後の混乱下でも略奪や暴動が起きず整然と秩序が保たれる様子を外国メディアはたびたび絶賛してきた。が、これも「世間」が機能した結果であることを、おそらく私たち日本人は知っている。
☆2 1923(大正12)年12月、共産主義者の活動家・難波大助が摂政宮(皇太子裕仁親王)を襲撃し、暗殺しようとした事件。
☆3 1971(昭和46)年から72(昭和47)年にかけて活動した日本の極左テロ組織。連合赤軍が起こした同志に対するリンチ殺人事件(山岳ベース事件)は当時の社会に強い衝撃を与え、あさま山荘事件とともに新左翼運動が退潮するきっかけとなった。
☆4 1988(昭和63)年から89(平成元)年にかけ、東京都北西部・埼玉県南西部で発生した一連の誘拐殺人事件。犯行声明が新聞社に送りつけられるなどの事件の特異性から報道が過熱し、メディアスクラムなどの報道のあり方も問われた。被疑者として逮捕・起訴された宮崎勤の自宅から5000本以上のビデオテープが押収されたことも話題になった。2008年、死刑執行。