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2021/04/13

華やかな舞台裏で繰り広げられる地獄のような光景

 書く側の感覚と演じる側の感覚は微妙に違うため、作家が書いてきたものがそのまま採用されることはほとんどない。頭の中にアイデアが浮かぶまで、いかりやは何時間でも考え続ける。

 会議はいつも重苦しい空気に包まれていた。『全員集合』の華やかな舞台の裏ではそんな地獄のような光景が繰り広げられていたのだ。

 いかりやには「コントは喧嘩だ。俺たちがやっているのは演技ではなく体戯(たいぎ)だ」という持論があった。舞台上を所狭しと動き回っていれば、それがテレビ的な笑いになる。

『全員集合』では、車が飛んだり、組み立てられたセット全体がガラガラと崩れ落ちたりする大仕掛けもあった。それも視聴者を驚かせるための工夫の1つだった。

 番組が始まって1~2カ月は、大きな布や板に景色や建物の絵を描いただけの「書き割り」の背景でコントを演じていた。

 この時期には観客の反応も思わしくなく、視聴率も伸び悩んでいた。

 そんな状況を打破するために、いかりやは美術に関して徹底的にこだわりたいと申し出た。

 セットは書き割りではなく、ドラマで使われるような本格的なものにしたい。時代劇のコントをするなら、安っぽい着物や作り物の刀ではなく、本物の時代劇の現場にあるようなものを使いたい。

 もちろんその分だけ金はかかることになるが、プロデューサーの居作昌果はいかりやの提案を二つ返事で受け入れた。

 すると、笑いの量がどんどん増えていき、視聴率もうなぎのぼりになっていった。メンバーからも自由なアイデアがどんどん出てきて、番組は一気に面白いものになっていった。

 セットや小道具にも一切手を抜かない。そのこだわりは見る人には必ず伝わるはずだといかりやは確信していたのだ。

荒井注の脱退と志村けんの加入

『全員集合』の16年の歴史の中で、事件や事故はたくさんあった。セットの一部が燃えた火災事故や、生放送が始まった途端に会場の電気が切れて真っ暗になってしまった停電事件などは特に有名だ。

 ドリフにとって最大の危機は、メンバーの1人である荒井注が脱退してしまったことだ。1973年、荒井は体力の限界を理由にやめたいと申し出た。

荒井注氏 ©文藝春秋

 荒井はマイペースな男だ。一度決めたことは意地でも曲げない。いかりやがどんなに説得しても決意は揺らがなかった。

 いかりやは急きょ新しいメンバーを入れることを考えた。そこで白羽の矢が立ったのが志村けんだった。

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