昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/04/13

『全員集合』時代のいかりやとそっくりだった

 一方の志村も、ドリフの付き人になってから、長年いかりやの背中を見てコントの作り方を学んできた。『全員集合』の終了後、同じ枠で加藤と志村の新番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が始まった。志村はこの番組でさらに自分の理想とする笑いを深く追求するようになった。

 その後は『志村けんのだいじょうぶだぁ』『志村けんのバカ殿様』(ともにフジテレビ)など、自分の名前のついた冠番組でコントを演じ続けた。

 どの番組の会議でも、志村は重苦しい雰囲気の中で知恵を振り絞ってコントを作っていた。その姿は『全員集合』時代のいかりやとそっくりだったと評する人もいた。

「テレビ芸」としてのコントの伝統

 実際、小道具やセットに対する「本物志向」のこだわり、コントの演出や仕掛けのアイデアなど、志村がいかりやから学んだものは多い。

 たとえば、コントで人が壁にぶつかる場面を撮りたいとき、どういう素材の壁を作ればいいのか。どうやってぶつかると面白く見えるのか。ドリフのメンバーは気の遠くなるような時間をかけて、こうした具体的なノウハウの1つ1つを蓄積していった。

 壁にぶつかる時に、すごい音を出すためにトタン板を使うという工夫もした。人がぶつかるスペースの部分だけをトタン板にすると、バーンってものすごい音がする。(中略)

 壁に顔をぶつける時の音の出し方にはコツがあって、顔が壁に当たる瞬間に、両手のひじから上の部分とつま先を壁にぶつけて音を出す。顔を実際にぶつけるわけにはいかないからね。当たった時の音がすごいと、それだけで本当に壁にぶつかったように見える。(志村けん『変なおじさん』日経BP)

 便宜上、ドリフは第一世代に分類されることが多いのだが、志村は年齢や芸歴で考えると第二世代に近い存在だ。

©文藝春秋

 戦前・戦中世代のいかりやががむしゃらになって取り組んだ「テレビ芸」としてのコントの伝統は、下の世代の志村へと受け継がれていったのである。

【続きを読む】「いじられるのが上手い人しか生き残れない」は昔の話? ケンコバが感じた「第七世代」への“違和感”と“現実”

この記事の写真(5枚)

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー
z