組織委は「安全」と「安心」が全然別であることに無頓着
五輪組織委員会の方と先日議論する機会がありましたが、「東京五輪開催には安全安心が第一」と強調されていました。私もこの点には同意します。しかし、どうも「安心」と「安全」が全然別なものである点に無頓着なことが気になりました。安心は人の心の問題ですが、安全は具体的に「数値化」できる。ところが、組織委は「安心」について語るばかりで、きちんと数値を出して「安全」を証明できていません。
本来であれば、五輪開催を議論するに当たっては、「数値化された安全性」を土台にして、その数値が本当に信頼できるかどうか(安心できるかどうか)といった形で話を進めないといけない。ところが、いまだに五輪開催については感情的な視点からの話が出てくるばかりです。
選手を命の危険に晒してまで、開催する意義はあるのか
もしこのままオリンピックが開催されたとして、大会期間中に選手のコロナ感染やクラスターが起きないという保証はありません。組織委は「即刻隔離する」「そのための医療体制を確保する」と話しますが、これは根拠なき「安心」の話です。選手がコロナの感染リスクを心配せず、「安全」に競技に打ち込める環境を整えたことにはなりません。たった一人でも選手にコロナ感染が出たら、必ず混乱が起きますし、その中で競技に打ち込まなくてはならない選手達のメンタルに与える影響は計り知れない。
万全の環境で選手が競技に打ち込める環境が作れないのなら、五輪開催を強行する必要はない。何より大事なのは人命です。選手を命の危険に晒してまで、開催する意義が五輪にはあるのだろうか、と思うのです。それこそ「平和の祭典」としての五輪の存在意義を根本から否定するものではないでしょうか。
菅義偉首相は1月18日に行った施政方針演説で「夏の東京オリンピック・パラリンピックは、人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」と説明しました。しかし、特効薬がまだ開発されていない現状では、ウイルスに打ち勝つ(=ゼロリスク)のは不可能な話です。
「復興五輪」とは一体なんだったのか
遡ること8年前、日本は「復興五輪」というテーマを掲げてオリンピックを招致しました。しかし、今やその目的を十分に達成できないことは明らかになっています。