「病院には、非常事態ではなく、災害レベルの緊急事態との認識を伝えている」――。大阪府の新型コロナ対策で陣頭指揮を執ってきた、府健康医療部長・藤井睦子が朝日新聞のインタビュー(2021年4月16日付)に対し、こんな言葉で現状を表現していた。極めて的確だ。

 まさに新型コロナウイルス対策で必要なのは、「災害医療」の視点だと私は考えていた。その理由は極めて明確だ。この1年間、医療崩壊を防ごうと奮闘した現場の医師たちを取材すると、「災害医療の知見を応用した」と語る人々が少なからずいたからだ。

 災害医療とは、多数の負傷者が同時に発生するなどして、医療の需要が、供給される医療サービスのキャパシティを上回る状態での医療を意味する。第3波が襲来したとき、東京の一部では災害時のように医療体制は崩壊寸前であり、4月中旬時点の――そして、しばらく先までの――大阪は「災害」並みの医療需要が発生し、どう見ても通常の医療体制は維持できそうにない。

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需要抑制と医療資源の配分は“対策の両輪”

 その意味では、大阪は「医療崩壊」と言ってもいいだろう。危機は大阪だけに留まりそうにない。やがて、東京、首都圏に波及してくることはほぼ確実な未来だ。だが、現実は危機だ、医療崩壊だと言っているだけではなんら改善しない。

 こうした事態に面したとき、取れる方法は2つある。第1に医療の需要を抑え込むことである。コロナでいえば感染者数の抑制だ。感染拡大を防ぐため人と人との接触を避ける。

小池百合子東京都知事

 クラスター(集団感染)を早期に発見するために、積極的な調査をする。飲食時は感染リスクが高いとされているので、飲食店の時短営業を要請する。営業の自由など人権に制限をかけていく緊急事態宣言は、現状の日本で最も強力な措置だ。

 第2の方法は、限られた医療資源をより効率的に配分する方法を模索することだ。地域の大病院が主体となって重症患者を診て、それ以外の病院には軽症と中等症、回復期の患者の受け入れという役割を割り振る。コロナ専用の病棟を設けて、そこに医療資源を集中させる等の方策がこれにあたる。

 この需要抑制と医療資源の配分は対立するものではなく、同時に整えなければいけない対策の両輪だ。

「いったい都の対策は“何周遅れ”なんでしょうか」

 ところが、これまでの小池都政の言動は前者に偏っていた。実際のところ、大阪並に急激に重症者が増えた時、東京都が医師や看護師といった医療従事者を含めて十分に確保できていると言ってきた「332床」という数字で対応できるのか。詳細は「文藝春秋」5月号に掲載した「小池百合子のコロナ対策を検証する」に譲るが、この数を増やす必要があるということは、多くの人が同意できる点だと思う。ところが、である。

「東京のコロナ専用病棟の設置は明らかに遅かったし、病院同士の連携も、第1波のときから医師が個人のネットワークでやってきた。『先生の依頼だから今回は受け入れます』と何度も言われましたよ。いったい都の対策は“何周遅れ”なんでしょうかね」

 新型コロナ患者を多く受け入れてきた、ある基幹病院の医師がなかば呆れ気味に語っていた。東京がラッキーだったのは、単純に大学病院など高度な医療を提供できる医療機関が他の自治体に比べて圧倒的に多かったことだ。医療体制の綻びは随所にでていたが、結局は現場のマンパワーと病院数の多さで決定的な破綻を避けることはできていた。