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自分で作った山で遭難

西川 也哉子さんとは、『永い言い訳』が招待作品となったローマ国際映画祭でお会いしたのが初対面でしたね。あのときも本木さん、大変そうでしたよね。一生懸命、イタリア語でのスピーチを練習に練習を重ねていたのに、本番で納得いく出来にならなかった。周りから見ればパーフェクトなんですよ。すると、その後の日本語での質疑応答で詰まっちゃったんですよね。記者の質問が変化球で、ペースが崩されちゃった。

内田 あたふたして本当に空回りしちゃっていましたね。本木にありがちなんですが、期待に応えたい一心で自ら勝手に期待値を上げてしまい、そこから少しでもズレると、修正できなくなっちゃうんですよね。

西川 自分で作った山で遭難する(笑)。会見後に也哉子さんから「西川さんみたいに思ったことを思ったように言えばいいだけじゃない」って叱られていた。

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内田 あっ、聞こえていました?

西川 本木さんがすっかり落ち込みながら、ぐずぐず言い訳しているのも聞こえていました(笑)。

本木雅弘さん ©文藝春秋

内田 まさに永い言い訳満載の日常生活の一コマを見せてしまいましたね。本木は普段から常に気を遣い過ぎて、自宅にいてもくつろげてないタイプ。私は15歳で本木に出会ったのですが、それまでの人生に存在しなかった生態をもつ人間でした。その頃、私はフランスの詩人、ジャン・コクトーが好きで、生まれて初めて観た映画が『恐るべき子供たち』だという話をしたら、本木はコクトーの本などを収集し、ゆかりの地を旅するぐらい好きで、ティーンエイジャーが知らない知識をいっぱい持っていた。その時に感じたときめきは男性に対する感情というより、憧れのお姉さんのようでした。

結婚直後に離婚の話し合い

西川 でもローマのホテルでお2人がテーブルで朝食をとっている姿は忘れられないですよ。結局この2人はちゃんと向き合って、朝から会話を交わしながらご飯を食べるんじゃないかと。本当に大人っぽくて素敵だった。でも対談本を読むと、結婚後、早々にお2人が離婚について話し合っていたとありましたよね。

内田 15歳で本木と出会って、文通をはじめ、17歳でプロポーズ、19歳で結婚するまで、一度も真剣な恋愛をしたことがなかった。だから結婚生活に対して、恋愛の延長のような期待を膨らませていたんですね。でも本木と一つ屋根の下で暮らしてみると、価値観もカルチャーもあまりに違って、ショックの連続でした。昨年、銀婚式も済ませましたし、今では本木の価値観を受け入れているものの、でもいまだに本木というラビリンス(迷宮)の鍵を私は手に入れていない、まだその扉の前に立ててさえいないかもしれません。