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 日米部隊の調整の場は、すでに統幕には戦略的レベルとして「中央BCAT調整所」が立ち上がっていた。

 しかしこの「BCAT横田調整所」が、原発対処を巡り、日米の軍事関係者が密かに激論を交わし、“熾烈な攻防”が繰り広げられた“最前線”であったことは、ほとんど知られていない。

「日本政府は情報を隠している」

 アメリカ軍と日本政府との調整が始まって数日も経たない時のことだった。

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 在日アメリカ大使館駐在武官から、1通の外交公電がワシントンの国防総省宛てに「緊急扱い」で届けられた。

番匠幸一郎氏 ©文藝春秋

 そこには政府の公文書にも関わらず感情的な言葉が並べられ、最後をこう結んでいた。

〈日本政府は、原発事故に関する情報を隠している。この状態は現在のリビアより酷い〉

 当時、北アフリカのリビアは40年間にわたって独裁政治を続けていたカダフィ政権と反政府組織との間で激しい内戦が続き、政府機関は機能せず、全土が混乱していた。駐在武官は、それよりも日本政府の状況が“酷い”と怒りを込めた公電で言い切ったのである。

 そしてその日を境にアメリカ軍は「BCAT横田調整所」を舞台にして、驚くべき要求を日本側に突き付け始めたのだった。

出典:「文藝春秋」4月号

 米軍が日本に突き付けた要求の中身は、「文藝春秋」4月号および「文藝春秋 電子版」掲載の麻生幾氏のレポート『その時米軍は「日本再占領」に動いた』をお読み下さい。

文藝春秋

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その時米軍は「日本再占領」に動いた