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なぜ「クイズ王ブーム」が生まれたのか?

――クイズ王になられたことで、生活に変化はありましたか? ファンがついたとか。

能勢 ありましたよ。当時は日本テレビとかフジテレビ経由でお手紙をもらったりもしました。「東武よみうり」という地域情報紙に受けたインタビューでは住所も出てしまったので、直接届く手紙もあったんです。ほとんどは「応援してます」とか、「楽しい番組でした」とかなんですが、中にはちょっと変な手紙もあって。

――嫌がらせ的な?

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能勢 いえ、「自分は劣等感のかたまりで」みたいな、ひたすらネガティブなことが書いてある手紙なんです。同じ人から毎日毎日届く。読んでもつまらないから、そのうちただ積んどくだけにしたら、ある日の封筒の表に「読まずに捨てないで」って書いてあって……。ゾーッとしました。あと、手作りのケーキを持って職場まで訪ねてくる人もいました。

――振り返ってみると、どうして90年代にクイズブームが起きたんだと思いますか?

能勢 ブームの前段として1980年代にクイズ番組のスタイルが大きく変わっているんです。80年代半ばまで毎週放送されていた『アップダウンクイズ』『三枝の国盗りゲーム』などがバタバタと終わって、『史上最強のクイズ王決定戦』が始まった。つまり、視聴者がお茶の間で一緒にクイズをするスタイルから、「クイズのアスリート」が競っているのを見る方向性に変わったんです。いわゆる「クイズブーム」というのは、「何でこんなことを知っているんだろう」と思わせる凄い人、つまり「クイズ王」という人たちのキャラクターあってのブームだったと思っています。

これはいつでしたかねえ……、松村邦洋さんと組んだクイズ番組だと思います 写真提供:能勢一幸さん

クイズ王が集まる「ホノルルクラブ」というサークル

――伝説の「ポロロッカ」(『史上最強のクイズ王決定戦』決勝早押し問題で、出題途中わずか0.9秒で正解した)西村顕治さん、初代クイズ王・水津康夫さん、女王・石野まゆみさん、現在はクイズ作家もされている道蔦岳史さんといった個性派がたくさんいました。能勢さんが他のクイズ王に対して「敵わない、すごい」と思う点は、たとえばどんなところですか?

能勢 西村さんの勝負への執念、反応の速さと問題分析力は本当にすごい。水津康夫さんはクイズ用に知識を得ようとしておらず、日々の読書によって蓄積しているというのが敵わない点ですね。石野さん、道蔦さんの勝負強さもまねできないものがありましたが、私にとって西村さん、水津さんは当時の別格のクイズ王です。それから私の2年前に『ウルトラクイズ』で優勝された長戸勇人さんには、誰にもまねできないスター性がありました。

――クイズ王同士、今も交流はあるんですか。

能勢 西村さんはクイズの第一線から引かれてしまったので、もう20年以上お会いしてませんね。道蔦さんには先週、普通のクイズ大会でお会いしました。石野さんもクイズ大会でお会いします。水津さんは仲間内のクイズ大会にごくたまに参加されますね。

――仲間うちの大会って、かなりレベル高そうですね(笑)。サークルのようなものがあるんですか。

能勢 色々な仲間うちの集まりはありますが、今まで出てきた方々に最も関係が深いものとして私も会員の「ホノルルクラブ」という会があるんです。村田栄子さんという80代の女性が会長の、日本最古のクイズサークル。ここの活動については、石野さんがお詳しいので、今度聞いてみてください。

「埼玉クイズ王決定戦」に公務員として協力しています

――「クイズ王」として現在のお仕事につながっていることは何かありますか?

能勢 年末年始にかけて開催される埼玉県主催の「埼玉クイズ王決定戦」というのがあって、その問題監修を担当しています。そもそも、ある雑誌の県民愛着度調査で埼玉県が最下位となってしまったことを知った当時の知事が「県民にもっと埼玉のことを知ってもらうためにクイズ大会がいいんじゃないか」という話になって、開催が決まったあとに担当課の中で「そういえばアイツがいる」と私に白羽の矢が立ったらしいんです。

――能勢さんが発案したわけではないんですね。

能勢 はい、寝耳に水のお話でした。あくまで仕事ですので大会当日は公務扱いですが、問題は土日に図書館や家で作っています。クイズ王として行政へ協力している、と言えば大げさかもしれませんが、少しは埼玉のためになっているのかなと思っています。

#2 最近のクイズ番組から失われたもの クイズ王・能勢一幸が語った未来 に続く

 

構成=皆川秀
写真=佐貫直哉/文藝春秋