文春オンライン

連載昭和事件史

2021/05/09

 手紙は日付がなかったが、館山郵便局の消印は19日。帯留め用の琥珀を包んだ紙に1句が書かれていた。

四十年 有耶無耶(うやむや)にして 今朝の露 千坊(秋子の俳号)

「悲痛な遺書が語る通り、死の決心をもって家を出た翠川氏が、静かに省みることによって自分を取り戻し、も一度生きる決心をした時、追いかけてくる無理解な世間の批評と賛美が、彼女を抜き差しのならないような立場に置いてしまった」と新保は書いている。

「死ぬという覚悟を持って当たれば、どんな誘惑にも暴力にも打ち勝たれる」

 この「婦人公論」には、娼妓解放運動など社会活動にも尽力した牧師作家・沖野岩三郎の「翠川秋子の秘密」という文章も載っている。沖野は放送局勤務時代の秋子と知り合ってから、長年親交があった。その文章からは秋子についていろいろなことが分かる。

 脳出血で長患いしていた秋子の母が死んだ時、沖野は秋子に頼まれて葬儀費用に新聞社から挿し絵の原稿料を代わりに前借りして渡した。そのとき、秋子は「死ぬという覚悟を持って当たれば、どんな誘惑にも暴力にも打ち勝たれる。世間からとかくのうわさをせられる私は、近頃になって、堂々と衆目の中を闊歩する一つの秘訣を覚えました。それは、誰に何と言われたって、自分自身に寸毫(少し)もやましいところのない生活をすることです」と語ったという。

 この事件の流れを見たとき、やはり気になるのは、家出をしてから実際に海に出るまでの1ヶ月近くの時間だ。狩野や新保が書いた通り、遺書まで書いて「死への旅」へ出たものの、そこから新たな生への希望など、さまざまな思いが生まれたのではないか。そもそもは自分の意思から出たこととはいえ、新聞などのメディアの圧倒的な“決めつけ”で後戻りできなくなってしまったのが真相ではないか。メディアが彼女を殺したとは言い過ぎでも、最後に死に追いやったのにはメディアにも責任があったと考えざるを得ない。「母としてどうか?」「女としては?」という視点からの批判に加えて、「無関係な若い男性を巻き込んで」という非難もあった。しかし、それらは少しずつ当たっているが、多くは外れている気がしてならない。彼女が本当に求めたのは、何にも制約されない人間としての自由な生き方だったのではないだろうか。

【参考文献】
▽澤地久枝「初代女性アナ翠川秋子の情死」=「続昭和史のおんな」(文藝春秋 1983年)所収=
▽NHKアナウンサー史編集委員会編「アナウンサーたちの70年」 講談社 1992年

2020年 事件部門 BEST5

1位:行為を拒むと女性の頭をバリカンで……性的暴行「ミスター慶応」を生んだ資産100億円一族
https://bunshun.jp/articles/-/45023

2位:日本初の女性アナウンサー・翠川秋子は、なぜ元ラガーマンの好青年と"心中”を決意したのか
https://bunshun.jp/articles/-/45022

3位:ベンツで女性をひき殺した「川崎の偽セレブ女」 “才色兼備”“スピード狂”……知人が明かす“衝撃の素顔”
https://bunshun.jp/articles/-/45021

4位:「今でも思い出すと眠れなくなるんです」……死者3名「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃」50年後の初告白
https://bunshun.jp/articles/-/45020

5位:座間9人殺害 凄惨な犯行現場「ノコギリで首を切り落とし、ぴちゃんぴちゃんと血が一滴ずつ落ちて…」
https://bunshun.jp/articles/-/45019

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー