昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/05/22

かつては道路が渋滞するほど人気だった

 かつて戦争で焼け野原となった仙北平野を見た後藤さんは、人々に希望を与える娯楽施設を作ろうと、一人で立ち上がった。自治体や大企業に頼ることなく、資金集めから遊具の調達まで一人でこなし、1979年、ついに開園にこぎつけた。渡り鳥の飛来地として知られる化女沼の畔に立地することから、後藤さんは「化女沼保養ランド」と命名した(後に化女沼レジャーランドに改名)。敷地内には遊園地のほか、ゴルフ場やホテル、コンサート場なども併設された。

 週末になると周辺道路は渋滞し、観覧車やゴーカートに親子連れが列をなした。屋外コンサート場では数千人の観客が熱狂した。意外と好評だったのが“そうめん流し”だ。従来の“流しそうめん”とは異なり、円卓の丸い水槽の中をそうめんがグルグルと回る。1000人を収容できる日本最大級のそうめん流しは、遠足の定番スポットにもなった。人々に希望を与える娯楽施設を作りたいという後藤さんの夢は、現実のものとなったのだ。

そうめん流しの会場。円卓の丸い水槽の中をそうめんがグルグルと回る、人気の食事スポットだった
写真が印刷された紙袋。お土産を買うと、この袋に入れてくれたのだろう。かつての賑わいが感じられる

 しかし、その夢も長くは続かなかった。月日が経つと目新しさが失われ、客足は徐々に遠のいていった。駅からも高速道路のICからも遠いという、アクセスの悪さも災いした。1990年代後半には、1日の入場者数が1ケタという状況に陥り、遂には2001年10月、資金繰りの悪化から閉園してしまった。

温泉を掘り当て、アクセスの悪さも解消されたが……

 観覧車やメリーゴーランドなどの遊具は、中古でも買い手がつく。しかし、いつかまたここを笑顔であふれる場所にしたいという強い意志で、後藤さんは売らなかった。その夢の実現に向けて、後藤さんは閉園後に温泉を掘削し、2003年、見事に掘り当てている。2004年には、化女沼レジャーランドの目と鼻の先にある東北自動車道長者原サービスエリアにスマートICが設置され、高速道路から1分で来られるようにもなった。再興の機運は着実に高まっているように思えたが、しかし……

本格的なゴルフ練習場。右奥に観覧車が見える。ここには6ホールのゴルフ場もあった
後藤さんは閉園後に温泉を掘り当てた

「私があと10歳若ければね。もう一度借金してやりたいんだけど、でももう歳だから。土地は売りたいけど、切り売りはしない。夢も一緒に引き継いでくれる人が現れるまで、遊具は絶対に残しておきますよ」

 この話を聞いて、私は心が震えた。そして、それから数年が過ぎた2015年、今度は後藤さんが私を訪ねてきて、化女沼レジャーランドを売ってほしいと頼んできたのだ。

z