2020年(1月~12月)、文春オンラインで反響の大きかった記事ベスト5を発表します。地域部門の第2位は、こちら!(初公開日 2020年7月11日)。
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今から5年前、廃墟マニアの私のもとを思わぬ人物が訪ねてきた。宮城県から新幹線を乗り継ぎ、私の住む岐阜県までやって来てくれたのは後藤孝幸さん。“廃墟遊園地”として、一部界隈で有名な「化女沼レジャーランド」の所有者だ。
かつては東北を代表する総合レジャー施設だった「化女沼レジャーランド」は、バブル崩壊後に経営が急激に悪化し、2001年に閉園。放置された遊具は錆びつき、朽ちていった。遊園地という、誰もが笑顔になるはずの空間から人が消え、時間の経過とともに全てが寂れていく光景は、ホテルや工場の廃墟よりも心に迫ってくるものがある。
廃墟遊園地を売ってほしい!?
そんな“廃墟遊園地”の所有者が、私に会うためはるばるやって来てくれたのだ。だが、挨拶もそこそこに後藤さんが切り出した要件は、全く予想もしていない話だった。「私ももう85歳だから、(廃墟遊園地を)手放そうと思いましてね。買ってくれる人を、ぜひ鹿取さんに見つけてほしいと思って来たんですよ」
そう言って後藤さんは、「化女沼レジャーランドの概要」と書かれた冊子を取り出し、私に手渡した。敷地面積は4万5000坪、温泉の源泉もついている。希望価格は5億円――。断っておくが、私は不動産業者ではない。化学系企業のサラリーマンだ。後藤さんが廃墟遊園地の所有者で、私は一人の廃墟マニア、という関係に過ぎない。
「できればまた遊園地にしたいんです」
そもそも私が初めて後藤さんと会ったのは、その“思わぬ訪問”の数年前のことだった。2001年の閉園から何年か経つと、「宮城県に廃墟遊園地がある」との噂が廃墟マニアの間で広まり、私もいつか行ってみたいと思っていた。そんな矢先、廃墟マニアに密着するドキュメンタリー番組の取材を受けた私は、その一環で化女沼レジャーランドを訪問し、後藤さんと出会ったのだ。
そこで後藤さんから聞いた話は、どれも衝撃的だった。銀行を駆け回って開業資金を調達した話や、アメリカやヨーロッパに渡って遊具を買い付けてきた話、有名歌手のコンサートの裏話など、どの話題にも興味が尽きなかった。そして私は、閉園してもなお、遊具をそのまま残しているのはなぜかと、後藤さんに尋ねてみた。
「ここには、遊んだ人の思い出と、私の夢がギッシリ詰まってるんですよ。そのシンボルである遊具は、どうしても撤去できなかった。できればまた遊園地にしたいんです。それが無理でも、みんなが笑顔になる場所にしたい」