大量のサボタージュに耐える天皇たち
それにしても、拝礼を受ける側の天皇の気持ちは、いかばかりであったか。早朝より大極殿に出御するも、参集しているのは五位以上の貴族だけだ。六位以下の官人たちは数えるほど。本来は五位以上の何倍もの数で、朝庭後方を埋め尽くすほどいるはずなのに。
元旦、夜が明けるとともに、いやでも目に飛び込んでくるその白々とした空虚な風景。古代日本の「専制君主」たちは、こんな大量のサボタージュに耐えねばならなかった。そう思うと、私は心底同情する。だが、実は歴代天皇にとって、それは程度の差こそあれ、いつに変わらぬ見慣れた風景だったのではないか。
給与カットでしぶしぶ出席
それはさておき、弘仁7年(816)、政府は重い腰を上げ、六位以下の無断欠席にも制裁を科すことにした。儀式そのものが危ぶまれる深刻な事態に立ち至ったのだろう。さすがに、そのまま放置というわけにはいくまい。無断欠席には季禄(春夏分)の没収で報いる。六位以下官人(長上官)にとって季禄は唯一の給与。だから、半年分とはいえ、没収はたしかに痛い。
これで五位以上は三節の出席禁止(節禄不受給)、六位以下は季禄の没収と無断欠席者には残らず経済的制裁を科すことになった。どうやら、一応の効果もあったようだ。これまで普通にもらえたものがもらえなくなる。背に腹は代えられぬということか。
しかし、今度は別の困った問題が浮上してくるのである。どうも当時の官人たちは、晴れがましくも厳粛な朝賀儀を支え、天皇の忠良なる臣下として粛々と務めを果たそうとなどという殊勝な人々ではなかったようだ。
朝賀儀に出席を求められたのは、中央にいる五位以上官人と同じく六位以下の長上官である。律令官人のまさに中核部分だ。その彼らが堂々と無断欠席し、経済的制裁を科されてしぶしぶ儀式に出るようになる。しかも、出てからも政府を困らせる。にわかに信じられないという読者もいるだろう。だが、これが現実なのだ。