人事院は、2021年度の国家公務員採用総合職試験の申込者数について、2020年度と比べ2420人(14.5%)減となる1万4310人だったと4月16日に発表した。5年連続の減少で、総合職試験を導入した12年度以降で最大の減少幅。背景にはいわゆる “キャリア官僚”たちの長時間労働問題があると指摘されている。

 一方で、その昔はどうだったのか。最新の研究によれば、その実態は必ずしも「勤勉」とはいえないものだったという。『古代日本の官僚――天皇に仕えた怠惰な面々』から、かつての日本における「官僚」たちの知られざる日常について、一部を抜粋して引用する。

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サボる官僚と「ひたすら待つ」政府

 古代史研究者はよく、専制君主国家の儀式は「君臣関係を確認する場」などと言う。何を隠そう、筆者もそう書いたことがある。なんとなくわかったような気になるから不思議だ。イメージとしては、専制君主の威容を仰望しながら、その忠良なる臣下たちが自分の立ち位置を確認させられるといったところか。おそらく機能主義的な説明としては間違ってはいない。

 しかし、現実には君臣関係を確認するどころではない。当の官人たちが出てこないのだ。出席は臣下としての職務だから、これは立派なサボタージュ(職務放棄)である。ところが、政府の方も、首に縄をつけてでも引っ張ってこようという気はさらさらない。ひたすら待つのみだ。とても君臣関係を確認させようと本気で考えていたとは思えない。

 現代に置き換えてみよう。たとえば、正月の一般参賀。多くの人々が日の丸の小旗を手に皇居に参集する。誰に強要されたわけでもない。天皇陛下や皇族がたの姿を一目仰いで晴れがましく新年を祝賀したい。多くはそんな崇敬の念からだ。

 一方、元日朝賀儀(天皇への賀正の儀式)をサボタージュした官人たちはどうか。現代日本の多くの人々が抱く素朴な崇敬の念すらない。かといって、サボっても罰せられるわけではないから、天皇への畏怖もない。天皇を崇敬も畏怖もせず、儀式を平然とサボる官人たち。その官人たちを甲斐なくひたすら待ち続けるだけの、まことに寛容な政府。現実の朝賀儀は「君臣関係確認の場」などといえるような代物ではなかったのである。