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 一方で、2人の母親同士の、親しいママ友としての交流は変わらずに続いていた。

「僕は親の勧めで、4年生の頃からインターナショナルスクールが開催するサマースクールに通っていました。授業は全部英語で行われ、講師は外国人。圭くんのお母さんはその話をうちの親から聞くと、『それはウチの圭にもやらせたい』と言って、5年生のときのサマースクールには圭くんも来ることになりました。憂鬱だった。でも、ガキ大将や他の学校の友達がいなかったせいか、圭くんは優しかった」

国立音楽大学附属小学校 ©文藝春秋

「学校来るな!」「キモい!」至近距離からボールを蹴り込まれ……

 だが、夏休みが明けると、イジメは再び始まった。内容は徐々にエスカレートし、Aさんが授業で使っていた裁縫道具やハサミなどの私物がなくなることもたびたびあったという。

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「僕も圭くんもガキ大将も、同じサッカー部でした。サッカーの練習をするといって、休み時間にキーパーとして僕を立たせ、至近距離から一斉にボールを蹴り込まれるということもあった。彼らとサッカーするのが嫌で、別のクラスメイトと休み時間に校庭で練習していると、教室の窓から大声で『学校来るな!』とか『キモい!』とか大声で叫ばれました。圭くんや、ガキ大将は影響力があり、同じクラスは勿論、隣のクラスの男子まで一緒になって悪口を浴びせてきた。隣のクラスの先生が注意してくれたこともありましたが、イジメが止むことはなかった。僕は学校を休みがちになりました」

 Aさんへのイジメは卒業まで続いたという。そのまま国立音大附属の中学に内部進学する選択もあったのだが、Aさんは別の中学校に通うことを決めた。

「卒業式には、悔しいから出席しました。圭くんやガキ大将に舐められっぱなしなのが嫌で、写真も一緒に撮りました。圭くんのお母さんは僕の母に『今までお世話になりました』と小さいダイヤがついた携帯ストラップをプレゼントしたそうです。なぜ僕が不登校になったのか。圭くんが何をしていたのか。圭くんのお母さんは何も気付いていないんだと思いました。

小学校時代の小室圭さん(国立音楽大学附属小学校の卒業アルバムより)

 ただ、今思えば、可哀想なところもあった。お父さんが死んですぐに、圭くんが『おじさん』って呼ぶ男性が学校に現れたことがあった。髭を生やしたダンディな感じの人で、お母さんの新しいパートナーだということでした。修学旅行のお迎えなどで何回か会ったことがあります。『圭がその方のことを凄く気に入っている』と圭くんのお母さんは話していたそうです。

 でも本当のところは、圭くんは凄くその『おじさん』に気を遣っていたのです。お父さんが亡くなって1年くらい経つと、圭くんのお母さんは再婚の相談を圭くんにしました。『お母さん的にはその人のこと好きだし、嬉しいに決まってるでしょ』くらいの感じで話したら、初めて圭くんが感情を爆発させた。泣きながらやめてくれと懇願したと聞いています」

#2に続く

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