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 小室家はもともと横浜市内に住んでいたが、小室氏の通学の便を考え、新たに国立市にマンションを借りたという。

「佳代さんの意向だったそうです。うちの家族とは母親同士が仲良しだったので、圭くんのお母さんの話は、私も母からいろいろと聞いていました。圭くんのお父さん(敏勝氏)は、職場の横浜まで国立から1時間以上かけて通っていたそうです。圭くんは両親のことを『お父さま』『お母さま』と呼んでいたのをよく覚えています。

 圭くんのお父さんは、いつもニコニコしていて優しい人という印象でした。顔は圭くんそっくりで、ラガーマンみたいな体型。圭くんはお父さんが大好きだった。父兄参観や保護者会といった学校のイベントにもほとんどお父さんが来ていた印象です。うちの母が言っていましたが、亡くなった当日もお父さんは学校にいらしていたようです」

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小学校時代の小室圭さん(国立音楽大学附属小学校の卒業アルバムより)

 敏勝氏は2002年3月に亡くなった。小室氏が小学4年生の頃だ。

「その日、保護者会があって、午前中は僕の母親が圭くんのお父さんに『ご無沙汰してます』って挨拶したそうです。元気そうだったと聞いています。『午後から仕事があるので、また』と、そう言ってお父さんは早めに帰られた。その電車の中で心臓発作で亡くなられたと、私は聞きました。お葬式には私も家族で参加しました。母はお棺に納められた、お顔を見てお別れをしたそうです」

父親の死をきっかけに僕へのイジメが始まった

 大好きだった父親の死後、しばらく小室氏は学校を休んだ。Aさんは佳代氏から、小室氏と一緒に登校するように頼まれたという。

「お父さんが亡くなって、(小室母子は)国立から横浜の家に戻り、僕は圭くんと登校するようになりました。彼の精神状態はとても不安定で、電車のなかで倒れてしまったこともあった。僕の中でも子供なりに気を遣って、自分の父親に頼み、圭くんが好きな野球を観に行ったり、『一緒にいなきゃ』と思っていました。それが彼にとっては鬱陶しかったのかもしれません」

小学校時代の小室圭さん(国立音楽大学附属小学校の卒業アルバムより)

 だが、父親の死を境に小室氏の態度は一変したという。Aさんは小室氏らからイジメを受けるようになった。

「5年生の夏前だったと思います。ある日、登校のためにいつも通り、『何時何分の電車の何号車で』という待ち合わせをしたんだけれど、、圭くんは待ち合わせに現れなかった。それなのに、国立駅で降りると彼がいて、ガキ大将と一緒にケタケタ笑っていたんです。そんなことが毎日のように続いた。圭くんは僕が電車の中で彼を探す姿を、隣の車両から隠れて見ていて、おもしろがっていたのです。その後も急に無視をしたり、容姿をバカにするあだ名をつけたり。僕は圭くんたちといるのが嫌で、図書室に隠れるようになった。でも、彼らはそれを面白がって、僕を探しだすと本棚の裏から、大声で僕のあだ名を馬鹿にするような替え歌を聞こえるように歌ってきた」