「相手男性に求める年収は4000万以上」といった歯に衣着せぬコメントで知られ、一世を風靡した医師・タレントの西川史子さん。現在は医師としてクリニックでの仕事を中心に規則正しい生活を送り、公私ともに軽やかなシフトチェンジを果たしました。「毒舌キャラ」で知られた当時、意外にも実際には「心配性で自分に自信がなかった」といいます。4月に50歳を迎えた西川さんに、これまでの歩みを振り返っていただきました。(全3回の3回目/#1#2から続く)

西川史子さん

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極端だった母の教育方針

――「毒舌」「自信家」というパブリックイメージがあるように思うのですが、結婚中のエピソードをお伺いしても、西川先生は真面目で努力家というか。

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西川史子さん(以下、西川) 心配性なんですよね。大学受験の時も過去問3年分では安心できず、1971年の創立当時から全部集めて解きました。小学校の時から夏休みの宿題は7月中に終わらせていましたし、2泊の香港旅行のために用意したガイドブックは8冊。そんな性格だから、思いつきで明日からインドへバックパックで行く、みたいなことは絶対できないですね。

――では学生時代は真面目なタイプだったのでしょうか。

西川 狂ったように遊んでいましたが、家に帰ったら3分後には参考書を開いているような生活でした。母がとにかく教育熱心で、かなり偏りがあったんですけども、医者になるためには他のものをすべて犠牲にしてもいい、みたいな教育方針だったんです。朝帰りしてもまったく怒られなかったけど、とにかく勉強だけは必ずやれと。お小遣いも好きなだけくれたので、その散財っぷりから大学では「湯水ちゃん」と呼ばれていました。

 

――お母様の教育方針は大胆なものが多かったそうですね。

西川 極端ですよね。家庭科や美術といった医者になるのに関係のない教科の宿題は全部、母が業者に外注していました。バレンタインデーのチョコも、パティシエの人に「少し下手に作ってください」と注文して、すごく嫌がられていました。