桑原さんをきちんと調べることが“落とし前”
それから10年後となる21年。私はふたたび桑原さんについての調査を始めることにした。最高裁の判決が出る当日だった11年10月20日、魏は最後の面会に訪れた私に対して、「私がいまここで元気でいられるのはみなさんのおかげです。今日の判決が出て心が落ち着いたら中国の両親に手紙を出すつもりです。小野さん、これまでどうもありがとうございました」と深々と頭を下げた。そんな彼の死刑は、2年前に執行された。
彼と彼の家族を蹂躙した桑原さんについて、きちんと調べることが、私にとってのこの事件の“落とし前”だと思ったのである。
事務所、そして自宅と回るが、10年の歳月が桑原さんの痕跡を消していた。当時の福岡県警担当記者も、現況はわからないという。
そうしたなか、「宙の花」の会社登記簿をひとつずつ当たっていくうちに、彼女の「被害者」だという人物に行き当たった。B子さんというその女性は語る。
「私の息子は殺人犯です……」と切り出して
「私が桑原さんと初めて会ったのは、福岡市のキリスト教会の前身となる集まりでした。そこで“証(あかし)”という、自分がどういう流れでキリスト者(信者)になったのかを語る場があり、桑原さんが『私の息子は殺人犯です……』と切り出したのです。それが彼女との出会いでした」
じつは桑原さんは、魏の関わる事件が起きる3年前、2000年に佐賀県で女性を殺害する事件を起こしたCという男とも養子縁組を結んでいた。その人物を「息子」と呼んで身の上を話していたのだ。
「教会に通う人たちは、殺人犯を養子にして救援活動をしているという彼女を、素直に“すごい”と尊敬し、その活動を人道的なものとしてサポートしました。彼女はその頃から教会を利用して、牧師や弁護士などの知り合いを作り、そうした職種の人たちへの世間の信用を利用して、人脈を広げていったんです」
すべては後に判明したことなのだが、桑原さんは養子にしたCの親戚筋に対し、被害者遺族に慰謝料を支払うことによって、減刑を嘆願できると訴え、ある親戚からは7000万円を得るなどして、計1億円ほどを集めたのだという。もちろん、それらが被害者側に支払われたとの実態はない。B子さんは続ける。
「私自身も、旧知のD子さんという女性から、貸金業をやっている親からの相続問題の悩みを相談され、弁護士に詳しい人として桑原さんを紹介してしまったのです。すると桑原さんはいつの間にかD子さんの親がやっていた会社の取締役になって会社を乗っ取り、彼女の資産も根こそぎ自分のものにしていました。『宙の花』の建物があった土地も、元々はD子さんの実家が所有していたのですが、いつの間にか売却されていました」
この頃から、桑原さんはD子さんの父親が貸金業をやっている関係で付き合いのあった、福岡市の暴力団組長とも協力関係を結び、強面の組長の威光を利用するようになったのだとB子さんは語る。