2003年に福岡県福岡市で発生した「福岡一家4人殺人事件」の犯人として出国直前に日本国内で逮捕され、05年5月に一審の福岡地裁で死刑判決を受けた魏巍(ギギ=中国読みはウェイウェイ。犯行時23、19年12月に刑が執行)。

(全3回の2回目/#1#3を読む)

「魏が日本人女性と養子縁組をした」という知らせ

 05年7月4日付の消印で彼から届いた暑中見舞いの葉書は、次のように記されている。

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〈暑中見舞い申し上げます

 

 炎暑まだまだご自愛

 

 専一のほどお祈りい

 

 たします! ご家族も

 

 よろしくを伝えて下さい〉

 また、06年の年賀状は〈新年快哉 ご家族ともどもよき年を迎えられたこととお喜び申し上げます〉、07年の年賀状は〈新春 おめでとう! 昨年は何から何までお世話になりまして、ありがとうございます。本年もよろしくおねがいいたします!〉といった具合で、私と魏の関係は続いていた。

魏から筆者が受け取った年賀状

 彼の福岡高裁での控訴審は06年7月4日に始まり、07年3月8日に控訴を棄却する死刑判決が下された。そして12日後の3月20日に最高裁に上告している。

 そんな折、魏が08年になって60代前半の日本人女性と養子縁組をしたようだとの連絡を受けた。教えてくれたのは、私と同じく魏と面会している、旧知の福岡県警担当記者である。彼によれば、相手は福岡市に住むキリスト教を信仰している人物とのことだった。

「日本にひとりぼっちでいるあの子をなんとか助けてあげたい」

 その記者から養子縁組をした相手の連絡先を聞いた私は、彼女・桑原祥子さん(仮名)に事情を聞こうと連絡を入れた。

「ああ、あなたが小野さんですか。魏巍からよく話を聞いています」

 彼女は愛想の良い調子でそう話すと、ぜひ私に会いたいと言ってきた。

 数日後、福岡市内にある彼女がいる有限会社「宙の花」(仮名)という看板が出た事務所に行くと、小柄で快活な印象の初老の女性が現れた。桑原さんは同社の「営業部長」との肩書の名刺を差し出して切り出す。

「いやあ小野さん、うちの魏巍がお世話になってます。私はね、日本にひとりぼっちでいるあの子をですね、なんとか助けてあげたいと思ってるんですよ。それでね、中国にいる魏巍の両親にも会ってきましてね、小野さんにどうしてもお渡ししてくれっていうものを預かっているんです。ただ、小野さんの連絡先がわからなかったでしょ。だから、どうしようかと思っていたところだったんですよ。よかったぁ~、今日やっとお渡しできる」

 桑原さんはそう言うと、奥から小さな箱を持ってきた。

「これ、魏巍のお父さんがぜひ小野さんにって……」

 それは工芸品の工場を経営している魏の父親が彫ったという、私の苗字が入った印鑑だった。断る理由もなく、素直にありがたく受け取った。すると桑原さんは切り出す。

「あの、それでこの前お願いしていた魏巍の手紙なんですけど」