福岡県福岡市の民家で幼い子ども2人を含む親子4人が殺され、全員の遺体(うち1人は遺棄時に死亡)が博多港に遺棄されるという、凄惨な事件が発生したのは2003年6月20日のこと。
この「福岡一家4人殺人事件」は、福岡県にある大学や専門学校に通う3人の中国人留学生による犯行だとして、同年のうちに逃亡先の中国で2人、逃亡直前の日本で1人が逮捕された。(全3回の1回目/#2、#3を読む)
父親は「おとなしい子だったので信じられない」
中国で逮捕された主犯の王亮(犯行時21、以下同)には、共犯の楊寧(23)の逮捕に至る情報提供の協力があったとして無期懲役の判決が下された。また楊には死刑判決が下され、05年7月に刑が執行されている。一方、日本で逮捕された魏巍(ギギ=中国読みはウェイウェイ、23)にも死刑判決が下され、19年12月に刑が執行された。
この事件を取材していた私は、03年8月に逮捕された魏が、犯行への関与を自供した直後の9月16日、中国・河南省にある魏の実家に通訳を介して電話を入れ、息子の逮捕を知らずにいた父親に事件のことを伝えている。
「まさか……。おとなしい子だったので信じられない……。息子から最後に電話を受けたのはもう何カ月も前です。ただ、日本にいる息子の友だちの母親から、うちの子が8月中旬に中国に帰ってくるかもしれないと連絡を受けていました。それなのに帰ってくる様子がないし、本人からの連絡もないので心配していたのです。その話は真実なのですか?」
残念ながら本人も認めており事実のようだとこちらが伝えた際の、父親の深く長い沈黙は、いまも忘れられない。
事件のわずか4日前に加わった魏
じつは魏は、事件のわずか4日前に王と楊から、「少なくとも100万円、それ以上の何百万円かの分け前を貰える」と甘言を囁かれ、犯行に加わっていた。魏の実家は工芸品を作る工場を経営しており、地元では比較的裕福な部類に入る。そのため両親は十分な仕送りをしていたが、日本での生活で遊びを覚えた彼は、次第に借金を重ねていたのだった。実家に無心をすれば、借金はなんとかなったはずだが、親に頼りたくないとの思いから、彼は犯罪に手を染めるようになり、この事件の少し前から窃盗を繰り返す日々を送っていた。そんな渦中での、凶行への勧誘だった。