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逮捕後に魏が父親に送った手紙

 最後に私は、逮捕後に魏が勾留されている福岡拘置所から唯一送ってきたという手紙を見せてもらった。それは04年4月16日の消印で、大きく一文字で〈悔〉とだけ書いてある。父親は声を震わせ言う。

「私はもう51歳ですが、これから人生の終わりまで、生きていく希望を失ってしまいました。また、日本の方々に申し訳なく、息子の愚かな行為が恥ずかしくてしかたありません。この手紙を見るたびに腹が立ってしまうので、できれば手許に置いておきたくないのです」

 私はその手紙を預かって欲しいと言われ、受け取った。さらに、日本の関係者に向けてのお詫びの言葉が書かれた手紙も託された。

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 魏の父親が書いた手紙は、〈愚息、魏巍が貴国に於いて、驚天動地の大事件を引き起こしたことを知り、私ども2人は驚き悲しみに沈むとともに、事件で被害を受けられた貴国の方に、心から哀悼と弔意を表し、お詫び申し上げます〉との書き出しで始まる。そのうえでいくら謝罪を重ねても足りない、息子が犯した大罪への戸惑いが正直に綴られていた。

初めての魏との面会

 その後、中国で行われた王と楊の初公判を傍聴するなど、この事件についての取材を重ねていた私が、魏と初めて面会したのは05年1月14日のこと。彼は2月1日に福岡地裁での論告求刑公判を控えていた。そこで死刑が求刑されることは確実だと見られていた。

 福岡拘置所の面会室に現れた彼は、青いトレーニングウエアを着ていた。目を合わせて「こんにちは」と、はっきりした声で挨拶をしたが、私が「中国であなたの両親と会ってきました」と口にすると、悲しみを湛えた顔を見せてうなだれた。

 父親が書いた詫び状ともいえる手紙をアクリル板越しに見せると、彼の目にはみるみる涙が浮かぶ。私は質問した。

「なにかお父さん、お母さんに伝えたいことはありますか?」

「……ありません」

「あなたが手紙に書いた〈悔〉ということだけですか?」

「そうです」

魏が父に出した〈悔〉の手紙

 その日から、私は魏と面会を重ねることになった。

 面会室で最初は明るい顔を見せる彼だが、話題が事件のことになると、決まっていつも俯き、表情を曇らせる。小声になり、「はい」と「いいえ」だけの返答が増えてしまう。

 魏は裁判で「もし私の死刑が少しでも彼らの慰めになるのならば、できればそういう判決を早くもらいたいです」と口にし、いかなる判決であっても受け入れる意思があることを表明していた。それはつまり、控訴しないということを意味する。