毒殺した人間をサイコロステーキのように解体。残った内臓、脳みそ、目玉、肉をきれいに削ぎ取り、骨は知人宅の庭で焼却。そして川へ…。
恐るべき犯行手口で1993年の日本を震撼させた「埼玉愛犬家連続殺人事件」。事件から数十年後、近隣住民を取材してわかった、犯人夫婦の人柄とは? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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ここアフリカケンネルでは若い従業員も働いていた。
女性従業員に関しては一人をのぞいて全て、関根元が手をつけていたという。彼らにしてみれば、この悪の殿堂も生きる糧を得る現場であったのだ。カメラを構えながら、ふと彼らは今頃何をしているのだろうと、顔も知らぬ従業員たちのことが心をよぎった。
「いい人だったよ」
埼玉県秩父市は関根元の生まれ故郷である。かつては賑やかな商店街だった通りの一角で関根元の父親は長屋で下駄屋を経営していた。今では生家はなく、商店街も見る影も無いほど寂れていて、ぽつりぽつりと商店が営業しているに過ぎない。数少ない商店に足を運ぶと、誰もがはっきりと関根元のことを覚えていた。
「いい人だったよ、大きい声で話しながら、この通りを歩いていたよ。どこで変わっちゃったんだろうね。昔は威勢の良い人が多かったから、特に変わったことはなかったよ」
60代の女性が、昔を懐かしむように関根元のことを振り返った。どこで変わったのかということで見れば、関根元の妻である風間博子死刑囚もどこにでもいる普通の女性だったという。さらに近所の男性が言う。