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涙で滲んだ父からの手紙

 たとえ死刑を免れることができないとしても、中国の両親との対話も含め、もう少し考える時間が必要ではないかと考えた私は、彼を翻意させるため、中国の両親に連絡を入れて、新たな手紙を書いてもらうことにした。

〈魏巍:お前は本当に愚か者だ〉との文言で始まる手紙は、〈失意のどん底に落ちてはいけない。お前のよく言う『いっそ玉砕しようとも、無駄に生き延びることはしない』という強情な性格で、この重大なことに向き合ってはいけない。さもないと過ちに過ちを重ねることになり、そうすれば私たちは本当にこの上ない悲しみに陥ってしまうだろう〉と書かれており、万年筆で書かれた文字の一部は涙で滲んでいた。私はその手紙をすぐに魏に送った。

地裁判決前の魏の父からの手紙(滲みは涙によるもの)

 彼に福岡地裁で死刑判決が下されたのは、05年5月19日のことだ。控訴期限はそれから2週間後の6月2日。5月下旬に福岡拘置所を訪ねた私は、面会時間のすべてを使い、取り下げをすることはいつでもできるから、いまはもう少し考える時間を作るために、控訴をすべきだと訴えた。

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考える時間が必要です

 後日、6月1日に書かれた魏からの手紙が届いた。

〈前略! わざわざ面会に来て、ありがとうございます。この手紙を届いた時、もう控訴中だと思いますが、この間、私のことを心配させて、とてもすいませんでした。よく冷静に考えて、今度の決定は自分にとって、一生一回しかない大事なことです。あなたが言ったとうり、「考える時間が必要です」。急いで書いたので、後で何かがあれば、また書きます。今日、ここまでです。これから、よろしくおねがいいたします。今度、いつ会えるかな? おやすみ!〉(※本文ママ)

 彼が控訴をしたことに、私は胸を撫で下ろした。それからは、定期的にとはいえないが、仕事で福岡に行くたびに、魏と面会を重ねるようになった。そこで交わす内容は、事件の話というよりは、日常についての会話が多い。

 当時、この事件には実行犯のほかに“黒幕”ともいえる首謀者がいるのではないかと囁かれていた。もしその噂が本当ならば、彼と親しくなることによって、いずれ話のどこかに出てくるのではないかとの思いもあった。

 そうしたなか、私は親しくしている福岡県警担当記者から、彼が日本人の女性と養子縁組をしたようだとの話を耳にしたのである。それはまさに“寝耳に水”の出来事だった。(#2へ続く)