「軽い症状だから」「休めないから」と黙って働き続ける人がいる
――昨年4月、長崎のクルーズ船で集団感染が起きた際、隔離した船員たちの体調把握に使われた「N-CHAT」(エヌチャット)というアプリは専門家らの高い評価を得たが、まだ全国的に普及はしていない。
尾身 そうです。日本はテクノロジーの活用はまさにこれからで、うまくいけば感染拡大防止と経済活動との両立を図りやすくなります。
アプリが有効に働くのは、多くの人が働いている職場で、「倦怠感」といった軽い症状がある人が出てくるようなケースです。
日々、健康状態を入力してもらい、有症状者が一定程度報告された日には、すぐに抗原定性検査(検査キット)などを行って、大きなクラスターを防ぐということです。こうすると、感染者を見つける的中率が高くなり、より効果的な方法になるのです。
ただし、症状があるのに、「軽い症状だから」「休めないから」と黙って働き続ける人がいると感染拡大防止には全くつながりません。実際、かなりいるようです。その人たちは、なぜ黙っているか。
その一つの要因は、周囲の同調圧力です。ひとたび陽性者が出ると、その人が所属する組織が過敏に反応する。そういう空気を感じている個人は「同僚に迷惑がかかる」とか、「陽性と知れたら辞めさせられるのでは」という不安を抱くのです。
こうした偏見への恐れが検査や健康アプリの活用を滞らせる一因になっているように思います。「もっと検査をやれ」という人は多いのですが、こうした視点からの分析も必要です。
「警告を発してくれて、ありがとう」と感謝するカルチャーを
――日本人の公衆衛生の意識の高さや同調圧力はいい面もあるが、感染者に不利益を生じることもある。妙案はあるか。
尾身 例えば、緊急事態宣言で中止している大学のクラブ活動も、宣言が解除されればいずれ、部員たちが集まります。特に運動系は接触が激しいから、陽性者がいれば感染しやすい。したがって、解決策としては、クラブの当事者がその活動を再開したいと考えるならば、抗原定性検査(検査キットによる検査)を受けてください、というお願いをすることで検査を受ける動機につなげることはできないでしょうか。
もはや、感染することは、誰でもありえますよね。だから、仲間の陽性判定の事実がわかったら、対策に改めて気を配るきっかけをもらったと受け止めていただきたいんです。周囲は白い目で見るのではなしに、「警告を発してくれて、ありがとう」と感謝するようなカルチャーをつくらないといけません。
――保健所や医療提供体制についても感染スピードにキャパシティがおいつかない窮状が繰り返し起きている。
尾身 先ほどの検査によって感染状況が判明しますが、これを対策の側から見ると貴重な疫学情報になる。この情報をデータとして集約していくのが保健所で、そのデータを国や自治体の対策につなげるためには情報の「質」と「スピード」が、専門家としての大きな課題として意識されてきました。
その予兆をできるだけ早くつかんで対策にいかそうと、分科会では4月15日に「新しい指標」を発表しました。
感染拡大の早期探知を目的に「感染拡大の兆しを早期に捉える指標」と「強い対策を取るタイミングの指標」の2つからなりますが、国に助言する専門家としては、こうした指標を活用して、早い段階でリバウンドを防いでもらいたいと考えています。
ところが、国と自治体、都道府県と政令市等の間にそれぞれ見えない壁があり、適切なタイミングで充分な質の情報が上がってこない。これでは変異株のスピードに先手を打つことはできません。
「壁」は有事における国と自治体の権限・役割分担が不明確で、さらに、平時のルールが有事の妨げになっているのです。平時には、個人を守るために機能を発揮するルールでも、危機対応では公共の利益の観点から別のバランスがありうるのではないでしょうか。