このように遺族側が独自に調査をしていくという姿勢は、滝川市や今回の爽彩さんの事件だけではなく、全国のいじめ自殺によく見られる流れだ。いじめではなく、「家庭のせい」だという噂が流れるパターンも似ている。子どもが亡くなっただけでも精神的ダメージを受けている遺族が、いじめの実態を明らかにするために調査をしなければならない現状がある。滝川市のいじめ自殺のときから状況は変わっていない。
読売新聞の報道で市側は態度を一変
2006年6月21日、遺族は、遺書や交換日記のコピーを市教委に提供した。交換日記には「自殺したい しにたい」「かなしい くやしい ムカつく バカバカしい くるしい つまらない」などと書かれていた。市教委はこの時点でもいじめの事実を公表しなかった。そのため、遺族は、遺書について取材を受け、10月1日、読売新聞が初めて報道をした。すると翌日、市教委は記者会見を開き、自殺の原因について「いじめではない」と述べていた。
しかし、市側は態度を一変させる。市教委は10月5日の会議で、自殺の原因について、委員の全員一致で「遺書の内容を踏まえ、いじめであると判断」するとの見解をまとめた。午後の市議会総務文教委員会でも、市議から、全国から批判が寄せられたことを踏まえた質問がなされた。そして、同日、市長や市教委幹部が遺族に謝罪した。10日には教育長が引責辞任をしている、さらに13日に、教育部長と指導室長を更迭。12月6日、市教委は調査報告書を公表した。
報道によって「認識」を変えた
旭川市の場合、爽彩さん本人や母親が担任に相談をしていたものの、担任は「いじめはない」などと言い、川に飛び込んだ際には警察が出動する事態にもなったが、いずれも対応が不十分だった。校長も「いじめには至っていない」と、いじめを否定。死亡の因果関係も認めなかった。
しかし、「文春オンライン」でいじめと死亡の関連を報じられると、大きな反響を呼び、旭川市ではようやく「総合教育会議」で対応を協議した。その結果、いじめ防止対策推進法における「重大事態」と認定され、調査委員会が設置されることになった。当初はいじめを否定していたが、報道されたことで、「認識」を変えた点も滝川市の場合と共通する。