過剰なバッシングが起きたピエール瀧の薬物事件
この本の執筆中、電気グルーヴのピエール瀧さんが薬物事件で逮捕されました。九段下にあるマトリから湾岸署の拘留という私と全く同じコースだったこともあり、知名度は天と地ほど違う方ですが、自分のことのように固唾(かたず)を飲んで状況を見守りました。
当初、いつもの薬物報道と同じくらいのバッシングだろうと思っていましたが、多方面で活躍している瀧さんだったからか、いつも以上に過剰なものになっていきました。コカインの入手の方法、果ては使い方まで紹介するテレビ番組もあったほどです。
事件から数日経ったある日、松本先生と田中さんが、荻上さんのラジオ番組に出演し、改めて「薬物報道ガイドライン」について特集の中で話をすると耳にしました。
私が、二人を知るきっかけとなった番組です。かつて、この番組が「薬物報道ガイドライン」を取り上げてくれたことで命を助けられたと感じている私は、少しでも役に立てることはないかと、いてもたってもいられませんでした。そして、番組にメッセージを送ることにしたのです。私が自身の薬物事件の後、メディアに対してメッセージを発信したのはこれが初めてのことでした。
リスナーの皆さん、こんばんは。
私は、3年ほど前に危険ドラッグの所持や製造の罪で逮捕されました。
ほとんどの方は忘れてしまっているくらい、私の知名度はなかったものの、所属していた組織、アナウンサーという職業もあって、私の起こした薬物事件について大きく報道されました。
その後、家族や友人の支えもあり、衣食住はなんとか保つことができましたが、仕事は見つかりません。
時間が経てば解決するだろうと思っていましたが、どんどん気持ちは後ろ向きになり、外に出られない、人と話せない、と状況は悪くなっていきます。
これが自分の犯した罪の重さなのかと考えるうちに、精神のバランスを崩してしまいました。
そんな中、偶然この番組で提言した「薬物報道ガイドライン」について知りました。
マスコミとして報じる側、事件の当事者として報じられる側、恥ずかしながらその両方を経験しましたが、この人たちなら、こんな自分でも救ってくれるかもしれないと、気持ちを振り絞ってコンタクトをとったのを覚えています。
その後、松本先生の勧めもあって、私自身は依存症ではないものの、依存症の回復施設で回復プログラムを受講する機会を与えられ、ようやく心の状態も回復し、社会復帰を始めることができました。
ここまで3年かかりました。
事件当初、もうこの世から存在がなくなって、いなかった人になりたいと願いましたが、しばらく経つとそんなことは到底無理だとわかります。
それなら本当に死んでしまった方がいいのではないか。そう考えるようになりました。
何も死ぬことはないと、今の私ははっきり言うことができます。
タネを蒔いたのは自分かもしれませんが、そこまで追い詰められたのも事実です。
今の状況で、瀧さんのことを応援してほしいというのは心情的に難しいかもしれません。
でも、どうか追い詰めないでください。
自分を責めて、彼が命を落とすなどということが絶対に起こりませんように。
塚本堅一
どうしても伝えたかったのは、このバッシングで命を落とすこともある、ということです。「そんなバッシングに耐えられなかったら、芸能人になるな!」「そもそも薬に手を出すな!」という意見は無視してでも、今の時点で、瀧さんには味方がいるということを、本人なり関係者の誰かに知ってもらうことができたらという気持ちが勝りました。