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政治の議論にも「消極的」と「積極的」がある

 話がちょっと変わるけれど、アイザイア・バーリンっていう哲学者は、自由には「消極的自由」と「積極的自由」があるって指摘した。前者は王政への抵抗から生まれ、「支配からの自由」「圧政からの自由」といった「~からの自由」。欧州で自由主義っていうと、この考え方が多い。後者は、自分が主体的に何者かになれることを決めることができる自由。自由が重んじられすぎると、格差や貧困が広がって、自分が何かになろうと思ってもなれなくなってしまう。だからそういう自由も必要だというので、アメリカで主に使われている自由主義がこの「積極的自由」。

アメリカは「積極的自由」の国 ©iStock.com

 自由と同じように、政治の議論にも「消極的」と「積極的」がある。「○○からの脱却」というのが消極的政治議論で、これは20世紀の終わりのころは有効だったと思う。バブル景気で政治腐敗が横行し、硬直した官僚支配や大企業の横暴が普通にあった90年代ごろまでは、「脱却」がとても大切だったのだ。

 でも、21世紀に入るころには、こういう「脱却」はひととおり済んでしまった。いま人々が求めているのは、もはや「脱却」じゃなく、脱却しすぎて不安定になっている社会に、どうやって「安定」への道筋をつけるかということだ。

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 何かから脱却し、何かを否定するだけでは、もう政治は成り立たない。それだけでなく、この生活をどう安定させ、この国際情勢で日本をどう生き延びさせるのかという、建設的な姿勢が求められている。ひっくり返すのじゃなく、いまわたしたちが生きているこの貴重な日々を、どうやってこれからも積み重ねていくのかが大事だ。

 党派性は、消極的政治に引きずられてしまいがちになる。だから党派性は置いておき、積極的な政治をみんなで支えていかなければいけない。

多様性の確保こそが、リベラリズムのもうひとつの本質

 ところで先ほどのバーリンは、実は「積極的自由」も危険なのだと書いている。何に自由を求めるのかという、その目的が勝手に決められて強制されてしまうと、ファシズムや全体主義になってしまいがちなのだと指摘しているのだ。

 そうなることを避けるためには、「人にはいろんな目的があっていい」「社会にもいろんな目的があってしかるべきで、もう少しゆるやかに考えましょう」という多様性を確保することが大切だ。そしてこういう多様性の確保こそが、実はリベラリズム(自由主義)のもうひとつの本質だ。多様だからこそ、社会は良い発展を遂げられる。党派性のように一様に人々をからめとってしまうと、多様性は失われ、社会は不健全になる。

 だから党派性を脱却するためには、多様性を中心にしたリベラリズムをきちんと広めていかなければいけない。そして対話し、議論し、積極的な政治を作り、そういう政治家を支えていくこと。

 そういう視点で、今回の選挙に臨みたいと思います。

第48回衆議院議員総選挙の投票日は10月22日 ©iStock.com