いまから50年前のきょう、1967(昭和42)年10月18日、イギリスのファッションモデル、ツイッギー(当時18歳)が来日した。「小枝のような」という意味のその芸名は、プロポーションのよさからつけられたもの。前年の66年にデビューするや、細く長い手足でミニスカートを着こなす姿が一躍脚光を浴び、「ミニの女王」と呼ばれた。ただし、この日午後4時45分に羽田空港に着いたときには、ひざ下10センチのキュロットスカートという姿であった。到着時、空港の送迎デッキには大勢の女性ファンが詰めかけており、歓声が上がる。
翌19日、東京ヒルトンホテル(現在のザ・キャピトルホテル東急)で記者会見を行なったツイッギーは、今度はひざ上30センチの超ミニドレスで登場。記者から、知っている日本語を問われて「ハイ」と答えたり、いま一番ほしいものは? との質問には「幸せ」と返したりと、10代らしい無邪気な態度で応じた。3週間にわたる日本滞在中には、大阪を皮切りに名古屋、東京でファッションショーを開催。東京の日本武道館では、やはり同時期にブームとなっていたグループサウンズ(GS)の音楽を組み合わせたショーを行ない、8500人の観客を集めた。
ツイッギーを日本に招待したのは、合成繊維メーカーの東洋レーヨン(現・東レ)だった。このとき企画の中心として働いた同社の宣伝部長(当時)の遠入(えんにゅう)昇は、前年のビートルズの武道館公演を観て、時代の新しい流れを感じ、ミニスカートの普及のためツイッギーを呼ぼうと決めたという。繊維産業に陰りが出ていたこのころ、遠入には「もしスカートが短くなれば、ジャケットもワンピースも、コートも短いものに買い替えることになる。ランジェリーすら替えなくてはならない。日本中の女性がそうなれば、膨大な経済効果が期待できるはずだ」との思惑があった(『朝日新聞』2010年9月25日付夕刊)。はたしてツイッギーの来日を機に、ミニスカートは若い女性を中心にまたたく間に日本に広まり、2年後には、時の佐藤栄作首相の寛子夫人が渡米時に着用するまでになった。
先月まで放送されていたNHKの朝ドラ『ひよっこ』では、ヒロインの友人が「ツイッギーそっくりコンテスト」で優勝し、夢だった女優の道が開かれる様子が描かれた。当のツイッギーもまた、70年代に入ると女優に転身し、映画やミュージカルで活躍するようになる。その後、結婚して母親、さらにビジネスパーソンとしての顔も持つようになった彼女は、2004(平成16)年には日本で新ブランド「TWIGGY」を立ち上げるため、再来日している。