失踪していた“おとうちゃん”との一連のエピソードに区切りがついてから、みね子の物語にはほとんど幕が閉じかかっていて、終盤の1ヵ月半ほどは、スピンオフ、はたまた長いエピローグのようなものだった。岡田惠和もその事に自覚的で、みね子の人生を題材に漫画を描いている啓輔と祐二の2人の口を借りて、自嘲的につぶやく。

どうも、ここんとこ、ちょっこす中だるみっちゅうか
ちょっこ、地味っちゅうか
盛り上がりに欠けっとも
そろそろ、新しい恋をした方がいいがんないかとか 

豊潤な“余り時間”で描かれた愛すべき脇役たち

 挙句、ヒロインみね子に「地味ですみません」とまで言わせてしまう始末。しかし、そこがよかった。ダラっとした感じが視聴の集中力を削いだのは確かなのだけども、その豊潤な“余り時間”でもって、主人公のみならず、脇のキャラクターの生い立ちや仕草を書き込むことが許された。どう考えても物語の筋から外れたそれらの情報が、愛すべき脇役達の“生”に瑞々しいリアリティを宿していく。例えば、最終話において「行ってきます」のチューを三男に求める米子の額の前髪がピンで留められている……ただそれだけの些細な事象に、視聴者はグッと心を掴まれてしまう。彼らはただ物語の筋を遂行していく駒などではなく、たしかにそこに“実在する”人々なのだ、という実感がたまらなく愛おしい。

たしかにそこに”実在する”人々なのだ、という実感がたまらなく愛おしい ©NHK

勝ったんだよ、たった今
悲しい出来事に、幸せな出会いが勝ったんだよ 

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 宗男おじさんが叫ぶ。工場閉鎖を巡る豊子の乱における、みね子の「いつかみんなで笑い話にしてやろうと 何度でも笑い話にしてやろうと思いました」しかり、みね子と島谷の哀しい恋の終わりにおける、早苗の「別に終わりじゃないだろ 続ければいいだろ?」しかり、 「悲しい結末ならば、幸せな続きを書き足してしまえばいい」というのが『ひよっこ』という作品に流れる大きなテーマだ。