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悲しい出来事に幸せな出会いが勝つ『ひよっこ』と『ドラえもん』

 そのテーマは、かの『ドラえもん』を換骨奪胎しているように思う。野比のび太がもたらすであろう子孫たちの暗い未来を、より良くするために22世紀から猫型ロボットがやってくる。『ドラえもん』というのはまさに、「悲しい出来事に幸せな出会いが勝つ」までの物語だ。“続きを書き足す”という重要なモチーフを託されているのは、やはり啓輔と祐二。あかね荘で暮らす漫画家コンビ“つぼ田つぼ助”である。彼らには「藤子不二雄に憧れている」という設定が丁寧に用意されているし、つぼ田つぼ助の最初のヒット作が『ミネッコ』(みね子をモデルとした、未来から来たタヌキ型ロボットを主人公にした作品)である事からも、『ひよっこ』が『ドラえもん』を指標としているのは明らかだろう。タヌキ型ロボットのミネッコは50年後の未来からやって来る。

50年後……西暦で言うと2017年か、どうなってるの?

 みね子たちが裏の広場でお茶会で何気なく語り合う。すると、画面の向こうの1967年と我々(視聴者)が生きる2017年が、いとも簡単に接続してしまう。最終週を迎えても、『ひよっこ』は決して終わろうとしない、続いている。2017年のみね子たちに想いを馳せる。この時、胸に宿る何やらポワーンと温かい感触は、テレビドラマから得られるものとして、最も尊いものの一つではないだろうか。

©鈴木七絵/文藝春秋

最終回においてもみね子は何者にもなっていない

 最終話のラストカットがまた素晴らしかった。まるで物語のスタートに戻るように、みね子・時子・三男の幼馴染3人が集結する。3人それぞれが、劇中の数年間で就職し、女優になり、結婚し……とそれなりに成長を重ねてきたはずなのだが、ラストカットに映る3人は、半年前と同様に“ひよっこ”そのもののように振る舞っている(みね子の結婚をお祝いする乾杯もお酒でなく麦茶だ)。朝の連続テレビ小説というのは、実在の偉人の半生や生涯をベースとした物語が主流であるが、『ひよっこ』は架空のキャラクターの人生のほんの数年間しか描いていない。他の作品の主人公と違い、最終回においてもみね子は何者にもなっていない。そのことがひどく観る者を勇気づけやしないか。

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まだまだ(一緒に)がんばっぺ 

 その言葉を放つにあまりにふさわしいヒロインと過ごした半年間であった。