いまから40年前のきょう、1977(昭和52)年10月20日と翌週の27日、日本テレビの「木曜スペシャル」の枠で『アメリカ横断ウルトラクイズ』の第1回が放送された。
視聴者参加で、海外旅行を景品としたクイズ番組はそれ以前よりあったが、『ウルトラクイズ』は、出場者がニューヨークでの決勝をめざし、日本での予選を勝ち抜き、アメリカ各地を転戦しながらクイズに挑むという空前絶後のスケールの番組だった。のちには例年1万人超が参加するようになったものの、第1回、予選会場の後楽園球場に集まったのは404人と、ささやかなスタートとなった。このとき、初代司会者の福留功男(当時、日本テレビアナウンサー)がたまたま思いついて発した「ニューヨークに行きたいか?」というフレーズは、以後、この番組の合言葉として定着する(『週刊現代』2013年1月19日号)。
『ウルトラクイズ』では、従来のクイズ番組とは異なり、勝ち抜いていくのに知識量だけでなく、運や体力も求められた。成田空港では出国できる者をじゃんけんで決め、ある関門では、各所に隠された問題状を参加者が走って探し回った。脱落者に対する、毎回趣向を凝らした罰ゲームも名物となる。番組を立ち上げた当時の日本テレビディレクターの佐藤孝吉は、スタッフに「ウルトラクイズはクイズ番組じゃない。五輪のように真剣勝負の生放送だと思って撮れ」と指示し、勝敗の明暗もはっきりと対比させることを旨としたという(『週刊現代』2015年7月11日号)。だからこそ出場者の闘志をかき立て、視聴者からも強い共感を呼ぶことができたのだろう。
『ウルトラクイズ』は1992(平成4)年まで毎年放送された。毎回、高視聴率をキープし、83年の第7回では4週目に34.5%、各週平均で31.0%と歴代最高を記録する。だが、98年に1度だけ特番として放送されて以後、復活を期待する声も根強いにもかかわらず、現在まで実現はしていない。それというのも、98年の特番で日程変更から億単位の赤字が出たこと、また、膨大な下準備を必要とするうえ、旅先ではアクシデントも無数に起こるため、現在ではそのリスクがとても取れないといった理由があるという(『週刊現代』2015年7月11日号)。それでも、最近でもCSで再放送されるなど、いまなおファンは多い。