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冤罪被害者・青木惠子さん56歳 出所後に経験した母の失踪、そして死【再公開】

2021/05/24
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Nスペの取材の最中に起きた「母の失踪」

 それから1年、大事件が起きる。母の章子さんが行方不明になったのだ。ある日、玄関の扉の鍵を締める締めないで平造さんと章子さんが言い争いになった。普段はまめに鍵を締める章子さんが、この日に限って扉の鍵を開けておくという。平造さんが「締めておけ」と言ってもきかない。いらだった平造さんは「勝手にせえ」と言い放った。

 ところが章子さんもカチンときたら止まらない性分だった。しばらくして平造さんがふと窓の外を見ると、通りを一人で歩いている章子さんの姿が目に入った。

「これはあかん。家出しよったんや」

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 あわてて後を追おうとしたが、外に出た時はもう章子さんの姿はなく、どちらに向かったのかもわからない。手当たり次第に付近を探したが見つからない。

 平造さんから連絡を受けた時、惠子さんは講演のため北海道に来ていたが、予定を繰り上げて慌ただしく大阪に戻った。そこから惠子さんと、惠子さんの息子の聡くん夫婦による懸命の捜索が続いた。情報提供を求めるビラも配ったし、警察に届け出て大がかりな捜索も行われた。

20年間離れていた息子(後列左)とその妻(同右)とともに(筆者提供)

「母が一人で歩いたこと自体、今でも理解できないのよ。普段は付き添いなしでは歩けない人だったのに、どうして遠くまで一人で歩いていけたのか? 今でも信じられない」

「どこかに保護されているんじゃないか? 名前も住所もわからないから連絡がないだけで、どこかに無事でいるんじゃないかと期待する気持ちがあったの」

 ところが章子さんの手がかりは一向に見つからない。平造さんが責任を感じて日に日に弱っていくのが惠子さんには痛いほどわかった。

「母親のことを父親が悔やむのはすごくわかるの。普段から言ってることがこういう結果を招いた。でもそれは結果論よね。だからって責めるのはおかしい」

 胸をよぎるのは、火事で亡くなった娘のめぐみさんのことだ。

「私もめぐちゃんのことで散々責められたから、火事の後。『どうしてすぐに助けてあげなかったんだ』『119番するよりすぐ子ども助けるのが先やろ』って。でもそれは私が一番思っていること、悔やんでいることなのよ。それをみんな結果論で物を言う。突然の火事でぱっぱっと行動できる? 無理よ。自分がその体験をしているから父親のことを責めなかったし、息子(聡くん)夫婦にも『決して責めちゃダメよ』と言いきかせたの」

 当時、たまたまNHKスペシャルの番組制作で惠子さんに密着取材していた私たち取材クルーも、捜索に加わった。だから捜索の状況は番組の中で克明に紹介されている。

 1か月後、章子さんは遠く離れた海岸で遺体で見つかった。自宅近くの川で流されたものと見られている。