「正直にやったらやったと言え」。拘置所に面会に来た父は、自分よりも警察を信じていた。隣にいる母は黙っている。長い断絶がまもなく始まった--。
「週刊文春」3月26日号で、森友事件で自殺に追い込まれた財務省職員の遺書をスクープした相澤冬樹氏。その相澤氏が、NHK在職時より長年にわたって取材してきたのが「東住吉冤罪事件」だ。
小学6年生の娘を保険金目当てで焼き殺したとして、大阪市東住吉区の青木惠子さんが内縁の夫とともに逮捕されたのは1995年。それから20年、メディアで「鬼母」と呼ばれた彼女は、2015年に刑務所を出所、翌16年には無罪が確定した。
しかし、かわいい盛りだった8歳の息子は見知らぬ大人の男に。元気一杯だった両親は80歳を過ぎて介護が必要に。そして自分は、30代から50代になっていた。
「まるでタイムスリップしたよう」と語る彼女の人生を通して「冤罪」の真実に迫る、「週刊文春WOMAN」の人気連載「青木惠子さん56歳の世にも数奇な物語」。
最新話の公開に合わせ、記事を再公開する(初出:2020年4月2日)。
(前後編の後編/前編を読む)
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娘は再び実家を出て行った
しかし事はそう簡単には進まない。実家には惠子さんのための部屋がなく、惠子さんは居間で寝起きすることになった。
「私は(冤罪関係の)講演とか用事があって寝るのが遅いから、ゆっくり寝ていたいのよ。でも両親は朝が早いの。起きてくると居間に来るでしょ。父親は『いつまで寝てる?』と言うし私は寝ていられないのよ。生活のリズムが違ったの」
惠子さんが逮捕された時、両親は60代で元気いっぱいだった。だが20年の時を隔てて再会した時は二人とも80代。両親は戻ってきた惠子さんをいろんな面で頼るようになる。
ところが惠子さんは有名な冤罪事件の当事者として全国各地から招かれる。出かけていく惠子さんに対し平造さんはつい愚痴が出る。「また出かけるのか?」「全然家におらん」「いいかげんにしろ」
惠子さんは次第にストレスをためていく。
「最初は『年をとったんだから』と思っていたの。でも元が折り合い悪いからうまくいかないのよね」
同居を始めて1年あまり、平造さんが体調の異変を訴えた。救急車で搬送されて即入院。診断は「急性胆嚢炎」。医師は「あと少し遅かったら手遅れでした」と言う。入院して長く寝ていると認知症の症状が現れることがある。1か月後に自宅に戻った平造さんは「お金がなくなっている」と惠子さんを疑いだした。
忍耐の限界を超えた惠子さんは置き手紙を残し実家を出た。「口で言っても冷静さがないから、けんかになるだけだから」
こうして三たび両親と離れて暮らすことになった惠子さん。近くに住みながら頻繁に実家に通い、両親の世話を続けた。24時間一緒ではないことで、自分の時間を取り戻すことができたのがありがたかったという。