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 この時のことを串カツ屋で尋ねたとき、平造さんはしんみりと、「余計なこと、言わなんだらよかった……」とつぶやいた。そしてしばらくしてもう一度、「言わなんだらよかった……」。自分の一言が妻を追いやってしまったという後悔の念が、こみあげてくるようだった。

平造さんの高齢者住宅の部屋には亡くなった章子さんの写真が(筆者提供)

 惠子さんにも母親への思いがある。

「私が獄中にいる間、母親が聡くんの面倒をみてくれたの。あの子はおばあちゃんに育てられたところがあるから、おばあちゃん子なのよね。だから仕事を休んで夫婦二人で一緒に探してくれたのよ。みんなが『母親を探す』という一つの目標で動いた。家族の絆が一瞬だけどできた。それは母親のおかげだと思うの」

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父も波瀾の人生だった「世間に恩返しを」

 串カツ屋での時間はあっという間に過ぎていく。私はここで平造さんにぜひ聞きたいことがあった。

「惠子さんが逮捕されて、平造さんの工務店の仕事に影響は出なかったんですか?」

 即座に平造さんは答えた。

「影響がなかったわけやないけど、それほどは出なかった。得意先が『関係ない』と言ってくれたから。近所の人も理解があって、あそこに住み続けることができた」

 ここで惠子さんがツッコミを入れた。

「ほんと他人には“いいもん”だから。とにかく人にはいい姿を見せるのよ。だから人からは『いい人や』と言われるの。でも身内には別」

 平造さんはそれには答えず語り続けた。

「世間に世話になった。世間に恩返しせんといかん」

 そして一言、「ほんま、波瀾の人生やったなあ」。

 確かに。娘の高校卒業直後の自立、結婚、出産、離婚。火事で孫娘が死亡。娘が放火殺人で逮捕、無期懲役。実は冤罪で無罪。20年ぶりの娘との再会と同居、再びの別居。妻の家出と突然の死別。充分すぎる波瀾万丈の人生だろう。

「こいつもあんじょうやってくれるわ」

 平造さんは串カツ屋でずっと帽子をかぶっていた。最後に一言尋ねた。

「その帽子、似合ってますね。惠子さんのプレゼントですか?」

串カツ屋で父の平造さんと。帽子がお気に入り(筆者提供)

 すかさず横の惠子さんが答えた。「これは杏ちゃん(仮名・息子の聡くんの妻)。よくしてくれるわ」

 すると平造さん。惠子さんを指しながら「こいつもあんじょう(大阪弁で味良く=具合良く)やってくれるわ」

 惠子さんが笑顔で言った。

「初めて言ったわ、身内をほめない人が」

 親子の波瀾万丈の人生はこれからも続く。

相澤冬樹(大阪日日新聞記者)

あいざわふゆき/1962年宮崎県生まれ。東大法学部卒、87年NHK入局。2017年、東住吉冤罪事件を扱ったNHKスペシャルで取材を担当。18年、森友事件の取材の最中に記者職を解かれNHKを退職。著書に『安倍官邸vs.NHK』。