一方で息子は日本語をよく解し、日本で学びたいのだそうだ。断絶した両親の姿にやはり心を痛めながらも、話を聞く限りたぶん父親をどうにか励まそうと必死なんだろうと思う。成績優秀で、日本の高校にも入れそうなのだという。
「ムロハシさんは結婚しても、僕みたいになっちゃだめだよ」
訥々と言う。
テーメーカフェでは日本人の女子高生が売春していた
バンコクでも案外、壊れている家庭の話は聞いた。なにせこのとき、在タイ日本人は5万人に迫ろうという勢いだった。いろいろな家があるのだ。ダンナがタニヤにハマって……なんてかわいいほうかもしれない。タイ赴任についてきた妻がバイクタクシーのチンピラに寝取られて離婚、バイタク男の住むスラムで同棲しているなんて話もあった。
テーメーカフェでは一時期、日本人の女子高生が売春していることで話題になった。父親がタイ人売春婦に夢中になって家に寄りつかず、母親は英語学校のファランと不倫に狂い、子どもはやがて日本人学校を不登校になった。そして昼は、ファラン相手の女がたむろすバーに立ち、夜は日本人の変態が集まるテーメーで身体を売った。私を見てという叫びだったのだろう。
残酷だが、僕はその子に話を聞いてGダイにルポを書きたいと思った。しばらくテーメーを張っていたのだが、うわさが流れ出した頃には本人はもう姿を見せなくなっていた。
「ムロハシさん、この後どうすんの」
「ぼちぼち帰りますけど、もうちょっと飲みますか」
「ソイ4行こうよ。この前、原稿に書いた立ちんぼがいるかもしれない」
酒にはめっぽう弱く、ビール一杯でふにゃふにゃになる春原さんだったが、そこからが長い。翌朝も早くからアユタヤまで出勤だろうに、なかなか帰りたがらないのだ。僕は出勤時間も決まっていなければ、いちおう用意されていたタイムカードは手もつけないので仕方なくゲートちゃんが押していたのだが、そんな会社とはワケが違うだろうに春原さんは未明のスクンビットをひたすらに徘徊したがった。そしてその夜をともにする相手を見つけると、僕と別れてどこかへ去っていく。この日は結局、ソイ5の黒人だった。
その数日後、春原さんから連載「へこたれない女たち」の原稿が送られてきた。故郷のタンザニアを思う女の話だった。
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