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2021/06/04

劇中の父のセリフが伏線だった

 もちろん、物語の収まりと映えを良くするにはうってつけの公演であることは確かだ。なにかと衝突していた父ボミがフレディに聞かせていた“善き思い、善き言葉、善き行い”がライヴ・エイドとして実践されることで、彼はフレディの選んだ道、生きざまに理解を示す。

 実際にはすでに1979年のカンボジア難民救済コンサートに参加して“善き行い”を果たしているが、こちらの会場となったハマースミス・オデオンは収容人数が5千人の屋内劇場。ライヴ・エイドのウェンブリー・スタジアムは9万人の収容が可能なうえに、米フィラデルフィアのJFKスタジアムとの二元開催、世界84カ国で衛星同時生中継、視聴者数は19億人。

 どちらも意義のあるイベントで比べられるものではないが、規模などを考えるとライヴ・エイドのほうがどうしたって画になるし、選んでしまうだろう。

「Bohemian Rhapsody | A Tribute to Queen | 20th Century FOX」

 さらに言うならば、プレイした時間も作劇的にうってつけなのである。映画では4曲プレイで約13分30秒だが、実際は6曲プレイで約21分。あくまで筆者の主観だが、尺が134分の作品であれば、クライマックスに配するには長すぎず、短すぎずの絶妙なバランスだと思う。公開当時は6曲=21分にしたっていいじゃないかと思っていたが、そんなことは制作側も重々承知していたようで「愛という名の欲望」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」の演奏シーンもしっかり撮影されており、6曲プレイで21分55秒の〈完全版〉が「“ライヴ・エイド”パフォーマンス映像」としてブルーレイの特典に収められている。

映画では触れられなかった試練の数々

 また、クイーンの軌跡を俯瞰してみても、ライヴ・エイドがバンドにとって極めて重要な公演だったのは否めない。映画では1982年〜1985年がバンドの危機が表面化する時期として描かれており、ブライアン・メイは「僕らは世界的に成功を得られていたけれど、どこか自信に欠けた状態になり、創作の方向性が間違っているのではないか、お互いに意思の疎通ができてないんじゃないかというところまで来ていた」と、ロジャー・テイラーも「僕らはバンド活動に飽きて、そして疲れた感じになっていた」と、当時を振り返っている。

クイーン ©Getty Images

 1982年発表のアルバム『ホット・スペース』はシンセサイザーの大量導入やブラックミュージックに寄ったサウンドがファンの間で賛否両論を呼ぶことに。「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」(84年)のPVが、女装したメンバーの出演が不謹慎だと騒がれてMTVで放送禁止に。フレディ以外のメンバーもバンドを離れて活動したことから、解散の噂が囁かれ出す。映画では触れられなかったこうした試練の数々があったわけだが、そのなかでもとりわけセンセーショナルなものは南アフリカ公演をめぐる騒動だろう。

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