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〈悪しき国の権力側に付くバンド〉として国連のブラックリストに

 1984年10月、クイーンは南アフリカで9回の公演を敢行する。イギリスの音楽家ユニオンは人種隔離政策〈アパルトヘイト〉を打つ当時の南アフリカでの音楽活動を禁じており、破ったアーティストには罰金を科し、ブラックリストに名を載せることにしていた。同国のファンにも自分たちの音楽を聴かせたいというミュージシャンとしての純粋な気持ちから実現させた公演だったが、彼らは〈悪しき国の権力側に付くバンド〉のレッテルを貼られ、国連のブラックリストにも記載されてしまう。

 同年に発表された「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」は、圧政に苦しむ南米やアフリカの国々の人々にとって反権力精神のアンセムとなっており、南アフリカ公演でもプレイされている。それだけに、この出来事に対峙したメンバーの胸中を考えるとこちらまで辛くなる。

©getty

 そんな状況下でライヴ・エイドに参加し、他のアーティストを凌ぐパフォーマンスを繰り広げたことで、彼らにもたらされたものについてロジャーとブライアンは以下のように語っている。

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ライヴ・エイドで取り戻した自信

「自分たちはイケてるバンドで、人々の間にクイーンに対する愛があふれていることを思い出させてくれて、僕たちは大きな自信を取り戻したんだ」(ロジャー)

「バンドにとって転換点で新たな自信となり、お互いが考えていることをまた、少しずつ理解するようになった。いつのまにかバンド活動を楽しむということがどこかへ漏れ出してしまったところに、ライヴ・エイドがあの気持ちを取り戻させてくれた。僕らは存在して、何かを成し遂げることができて、大きな力であり、その力をもう一度創作のために使わなければいけないってね」(ブライアン)

©Getty Images

『ボヘミアン・ラプソディ』の物語だけでなく、そうした史実、ブライアンとロジャーの言葉を踏まえて、あのクライマックスに向き合うとさらに深く感動してしまうはずだ。

 フレディが亡くなってから12年後の2003年11月29日。ブライアンとロジャーは、クイーンとしてHIV患者支援のチャリティ・コンサート〈46664コンサート〉に参加しているが、その開催地は南アフリカである。

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【参考資料】
『ボヘミアン・ラプソディBlu-ray』(ウォルト・ディズニー・ジャパン)
『追憶のフレディ・マーキュリー』(ピーター・フリーストーン、訳:中山美樹、シンコーミュージック・エンタテイメント)
『フレディ・マーキュリーと私』(ジム・ハットン、訳:島田陽子、ロッキング・オン)
『フレディ・マーキュリー 〜孤独な道化〜』(レスリー・アン・ジョーンズ、訳:岩木貴子、ヤマハミュージックメディア)
『クイーン大事典』(ダニエル・ロス、訳:迫田はつみ、シンコーミュージック・エンタテイメント)
『サイカルジャーナル クイーン単独インタビュー ブライアン・メイさん』(NHK 2018年12月27日)
『サイカルジャーナル クイーン単独インタビュー ロジャー・テイラーさん』(NHK 2018年12月26日)