映画『ボヘミアン・ラプソディ』(2018年)が6月4日に「金曜ロードショー」で放送される。観る者に大きな興奮と感動を与えた、クライマックスのライヴ・エイドでのシーン。その背景には、映画では触れられることのなかった出来事があったという。知られざる秘話の数々をライターの平田裕介さんが紐解いていく。
※以下の記事では、『ボヘミアン・ラプソディ』の内容や結末が述べられていますのでご注意ください。
7万2千人もの観客がひしめくウェンブリー・スタジアム
「ご紹介できて光栄です。続いては……クイーン。女王陛下、クイーン!」
7万2千人もの観客がひしめくウェンブリー・スタジアムを上空から捉えたカメラ(視点)が、ステージ目掛けて急降下する。ピアノに向かうフレディ・マーキュリー(ラミ・マレック)を筆頭に、各々のポジションに就くメンバーたち。意を決したような面持ちのフレディが、息を深く吸って吐き、「ボヘミアン・ラプソディ」のイントロを弾く。そこから「レディオ・ガ・ガ」「ハマー・トゥ・フォール」「伝説のチャンピオン」と続いていく怒涛の約13分30秒。
刺さる場面ばかりの『ボヘミアン・ラプソディ』だが、やはりズブズブととどめを刺されるのはライヴ・エイドでの演奏シーンだろう。何度観ても、何度聴いても、興奮するし、感動するし、ウェンブリーのオーディエンスと共に歌いたくなる。プレイを終えた4人がステージの袖に戻って幕が閉じ、「ドント・ストップ・ミー・ナウ」のPVと「ショウ・マスト・ゴー・オン」が流れるエンド・クレジットには、涙腺が緩んでどうしようもなくなってしまう。
そして、観終えるたびにクライマックスにライヴ・エイドを据えたことに唸りに唸ってしまう。
クイーンにとってエポックなライブ公演は数多い。
初期の名演とされる1974年のレインボー公演、『ボヘミアン・ラプソディ』でも撮影されたがカットとなった1975年の日本武道館公演、同年のクリスマス・イヴに行われたハマースミス・オデオン公演、1979年のカンボジア難民救済コンサート、1986年のウェンブリー・スタジアム……。コアなファンに話を聞くと、1976年1月30日のボストン公演や1977年12月11日のテキサス公演なども出てくるので、もう収拾がつかなくなる。
膨大なクイーンのライブ公演から、ライヴ・エイドをクライマックスに選んだのは何故なのか?