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「入札情報を教えろ」と川北にせまった建設会社D社の社長H

 ただ一方で、前出の関係者は「川北のやり方は昔気質で強引だが、私腹を肥やすような人ではない。中山利生への恩もあって、彼なりに息子の一生を支えようとしているのではないか」とも話す。確かに川北の自宅や自家用車などは、それほど豪奢というものではなかった。もちろん、どれだけ私腹を肥やしても家や車には無頓着な人もいるのだろうが…。

 川北自身も法廷で、入札情報の漏洩に関わるようになったきっかけについて、こう証言している。

「平成23年(2011年)頃、市長と建設業界が対立するようになった。和解を申し入れたところ、支援の代わりに入札(情報)を教えろとHに言われた。その際は『検討します』と返事をしたが、その後、乗ってしまった」

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 Hとは、地元を代表する建設会社のひとつ、D社の社長だ。これ以来、年間十数件の入札情報をHに教示していたという。この「闇取引」は、中山市長にとって大きな意味があったようだ。地元の建設業関係者が話す。

「中山市長と建設業界が対立していたのは、それ以前からです。中山市長が初当選した2009年の市長選では、市内の建設業者は対立候補を支持しており、そうした軋轢がずっと続いていた。これを手打ちに持ち込んだのは川北の手腕。結果、2013年の市長選では、対立候補が立たず、無投票で再選している」

 川北は、情報漏洩の見返りとしてHから金品などは受け取ったことはないと主張している。これに裁判官が「あなたのメリットは何だったのか」と突っ込むと、「市政が安定する」、「私を含めた市長派と建設業界が円満になる」と述べている。「すべては市長のためだった」ともとれる発言だ。であるとすれば、市長の刑事的責任も問われてしかるべきだろう。

警察は市長を挙げるつもりだったのか?

 実際、警察のホンボシは市長だったという説もある。

「警視庁が管外の談合事件などで動くときは、首長狙いであることが多い。少なくとも、6件合わせても4000万円程度の入札にからんだ情報漏洩が、本命だったとは思えない」そう所感を語るのは全国紙の社会部記者だ。

「今回は茨城県警との合同捜査ということになっているが、3月3日に市役所へのガサが入る直前まで、県警側は知らされていなかったらしい。警視庁は、問題の今回摘発された官製談合が行われる以前の、11月頃から龍ケ崎市内で内偵を進めていたよう。警視庁がこれだけ大掛かりな捜査を秘密裏にやっていたとすれば、市長を挙げるつもりだったのでは」(同前)

龍ケ崎市役所を家宅捜索し、押収物をトラックに積み込む捜査員ら ©️時事通信社

 ガサ以来、自身が事情聴取の対象となったか否かについては、明言を避けていた市長だが、3月16日の「ぶら下がり」では記者らに対し「自身は聴取されていない」といったんは主張。ところがその後は「ノーコメント」に転じるなど、あいまいな態度を見せている。

 しかしガサ当日、市長公室にも捜査員が出入りしていたことを複数の職員が証言している。また筆者のもとには、「ガサの日に、品川ナンバーの黒塗りの車が市長宅に止まり、スーツの人たちが5、6人出入りしていた」という情報も寄せられた。